『聲の形』:岐阜感が満載したイジメがテーマの意欲作!原作の持つパワーがそのまま映画版にも出ている傑作!!

聲の形

「聲の形」を観ました。

評価:★★★★★

小学生の頃に、聴覚障害を抱える転校生・西宮硝子とのある出来事を境に周囲から孤立した石田将也。高校生になった彼は、その小学生時代の孤独感を引きずり、高校となっても周囲の人間と関われなくなっていた。そんなとき、偶然同じ高校生になった硝子を見かけた将也は、硝子の元を訪れるのだが。。聴覚障害を持つ少女をめぐるドラマを描写し第19回手塚治虫文化賞新生賞ほかを受賞したコミックを、京都アニメーション制作によりアニメ映画化。監督は『けいおん!』シリーズを手がけた山田尚子。

本作も、「海街diary」と同じく2年くらい前に訪れたMyマンガブームのときに読んだ作品で、強烈な印象を僕の中で残した1作。本作のテーマは、ずばりそのもの”イジメ”だと思います。聴覚障害者の西宮を中心に回っていくので、障害者映画なのかとも思われがちなのですが、彼女が障害ではなく、少し周りと相容れなくてイジメの対象にされた健常者であっても、作品のかたちは変わることがなかったと思います。なので、これは障害者どうのこうのは(物語上は手話など、重要なキーファクターはありますが)、あまり関係のない、”イジメ”が対象の作品だと感じるのです。

それにしても昨今変わらずにあるのが、”イジメ”でしょう。僕も強烈に覚えているのが、中学くらいに受けたイジメ。小学生の頃は身体障害のことで多少のからかいはあったものの、はっきりと”イジメ”の対象になったと感じたのは中学生のこのときでした。暴力を受けたとか、陰湿に何かを壊されたり、隠されたりすることはなく、言葉だけのイジメでしたが、やはり当時の僕にとっては学校に行くのが酷く億劫になってしまい、人生は何もかも終わりになったと思ったものです。でも、今考えれば、そのイジメの行為自体は今まで生きてきた人生の中でも些細なことだったし、小中も含めた学生時代や、その後の社会人の今に至るまで出会った素晴らしい人たちのおかげで、当のイジメてきた人たちも、僕の人生における関わってくれた一人なのだなーと思えるまでになってきました。でも、やはりイジメはイジメにあっている時期に、どういう方法で当人を救うかに依ります。イジメによる自殺者が今でもニュースで多い中、長い人生を、たかがイジメた数人のために終わらせないで欲しいといつも思います(少々言葉が悪くてスイマセンが。。)。僕が最近知った好きな言葉に、「100人のうち、たとえ99人に嫌われたとしても、日本全体からすれば、まだ120万人もあなたが好きな人がいる」というのがあります。嫌いな人に囚われるより、好きな人を探しに行く旅にほうが人生は面白いのです。

話が多少脱線しましたが、この映画はそうはいいながらも、イジメた人、イジめられた人が逃げることなく、お互いに向かっていくことに凄さがあるのです。普通の人間なら、イジメる人、嫌な思い出がある人は避けるでしょう。主人公の将也は硝子との関わりの中で、イジメる側にもなり、イジメられる側にもなった。こういう立場になれば、最悪の場合なら引っ越しでもして、新しい土地で人生をリスタートさせたほうがよっぽどいい。でも彼がそうしなかったのは、彼の家庭環境ということもあったかもしれないですが、それでも嫌な思い出を想起させる硝子には関わりを持たないのが普通。でも、彼の異常なまでの硝子へのこだわりは、恋愛感情なのか、それとも硝子に対する贖罪なのか、、、贖罪だとしても、彼をイジメられる側に巻き込んだ他の人とも関わってきて、ドラマとしては非常に込み入ってきたものになるのです。

結局、こうした込み入ってきた話の中での真実は、結局他人がどうこうしようが、どう思おうが、自分としてどうしていきたいということをストレートに行動していくことではないでしょうか。将也は自分の中で湧き上がる、いろんな矛盾する感情の中、過去の自分も含め、嫌なこと含め、真剣に向き合おうとする。中盤で一度は崩壊しかけた人間関係が、終盤のある事件をもとに再び修復されていく様はドラマとしてもなかなか。こんなに上手くいくことは稀なのでしょうが、それでも真実に思えるのは、登場してくるどのキャラクターも置かれた苦しい状況から、ある瞬間、逃げずに向かい合ったからでしょう。それも将也が真の自分を出そうとしてきた賜物なのかもしれません。

それにしても、昨今のテレビドラマや映画を見渡しても、”イジメ”をテーマにした作品が極端に減っているように思います。ネットも含め、悪質化しているイジメの現状をしっかり描くことが、イジメのことを真剣に考える機会にもなると思うし、イジメを受けている方もどういう方法で解決すればいいのかの見本にもなったと思います。僕の場合も、両親にはついぞ打ち明けれなかったですが、あるタイミングで担任の先生に堂々とチクることで(笑)、事態は好転していきました。クラスメイトや周りの大人も含め、人生を変えてくれる人は必ずいると思いますので、本当に諦めないで欲しいなと思います。

あと、映画のほうとしては、岐阜県大垣市がモデル(原作者の出身地)となっています。近隣出身の僕が観ても、岐阜感を至るところに感じます。これは岐阜県(特に、岐阜市、大垣市周辺)出身者は必見です。これだけ岐阜感が溢れるアニメ映画は見たことがないです(笑)。このあたりは、「けいおん!」で京都市左京区近隣を、「劇場版 響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部へようこそ」で京都府宇治市の空気感を見事に表現した、京都アニメーションならではというところでしょう。惜しむなくは、構図として?マークがつくところがあったり、絵が若干緩く書きすぎているなと思わなくもないですが、その辺りは些細な傷に過ぎないと思います。「ルドルフとイッパイアッテナ」(岐阜市)、「君の名は。」(飛騨市)と並び、2016年岐阜アニメ三部作(笑)の最終章を飾る、傑作だと思います。

次回レビュー予定は、「ハドソン川の奇跡」です。

コメントを残す