『デトロイト』:街が戦場とかした、1967年のデトロイトで起きた悲劇。緊張状態に置かれたときにどういう判断が人としての正しさなのかを考えさせられる一作!

デトロイト

「デトロイト」を観ました。

評価:★★★★★

1967年夏。アメリカ・デトロイトで大規模な暴動が発生する。暴動発生から2日目の夜、街が戦場とかす中、ミシガン州軍が終結している地点で銃声が発生したとの通報があった。現場近くのモーテルにデトロイト警察、ミシガン州警察、ミシガン州軍、地元の警備隊など複数が乗り込み、現場の証拠押収に躍起になっていた。その最中、何人かの警官が捜査手順を無視し、宿泊客に不当な尋問を始めたことから、誰も彼も構わず脅迫し、自白を強要する”死のゲーム”が始まっていく。。「ゼロ・ダーク・サーティ」のキャスリン・ビグローが、1967年暴動発生時のデトロイトで実際に起きた事件を映画化した作品。

「ゼロ・ダーク・サーティ」や「ハート・ロッカー」など、女性監督でありながら、男性よりも骨太な作品を撮り上げるキャスリン・ビグロー監督作。彼女の過去のフィルモグラフィでも、戦場や様々な事件の最前線で、脅迫や強要、果てはテロによる自爆行為など、人としての正しさと、社会としての正義の狭間でもがき苦しむ人々を描き出してきた監督さんですが、一つ本作で集大成的なものを作り上げているな、とそんな気がしてきます。今回舞台となるのは、戦場ではないものの、アメリカにおける黒人排斥運動が高まっていた1960年代後半に、デトロイトで起きた市警による低所得者地域での酒場における不当な捜査に端を発し、黒人や低所得者層たちが街で起こした大暴動となっています。作品は発端となった酒場での捜査シーンから、ドキュメンタリー映画のように事件の展開を克明に捉えていき、遂に地元警察や州警察にも手が終えず、州軍までが出動する緊急事態。街は戒厳令状態の中、あるモーテルでふざけて発せられたおもちゃのピストルによる空砲から、悲惨ともいえる事件に発展していく様を描いています。

終盤に注釈が出るように、本作の事件の顛末は(裁判による結果は一応出ているとはいえ)不透明な形に終わっており、多分事件被害者による証言によって組み立てられている分だけ、少し警察を悪者にしている一面的な要素もあるのかなと思います。しかし、本作で問題となっているのは、私たちの日常でも些細なことで起きそうな、密室に押し込まれ、街は通常の機能を果たしていない(これは戦争でも、テロなどの事件でも、地震などの災害でも同じだと思うのですが)中、一人一人の人間がどのように判断して行動できるかという、人としての根幹部分をも問うているように思うのです。多分、同じようなシチュエーションでも、学校の道徳の時間のように教科書に書かれているようなケースだったら、理性的に正しい判断ができることでしょう。でも、警察、軍、警備隊、そして被害者とそれぞれ違う立場で緊張状態に置かれたとき、正確な判断が下せるかというと、誰しもが自信がないことだと思うのです。本作では、醜悪そうに見える警察官の正義も、それはその場の彼らにとっては正しい判断だったかもしれない。しかし、事件の発端となった悪ふざけの空砲のように、少し過度に行った脅迫が、集団心理の中では踏み戻せないアクセルのように止められないものになってしまった。結果としては、ある人は命を落とし、助かった人も心に大きな痛手を受けて、前途洋々だった将来も奪われてしまったのです。

一昨年(2016年)に観た「サウルの息子」同様に、すごく良くできている作品ですが、決して気持ちのいい作品ではありません。本当に作品を観ながら、この先どうなるんだろうという結末を知りたい醜悪な気持ちさえも浮かびながら、同時に席を立ちたいような気持ちにもさせられる。良くも悪くも、スクリーンから目を離せない傑作になっています。悲惨な事件が起こっているのに、自分は関わりたくないと無視する人もいれば、真っ向から立ち向かうことはできないまでも、何とか彼らを救おうと努力する兵士の姿もあったりするので、少し救われたような気持ちにもなりました。

次回レビュー予定は、「ジュピターズ・ムーン」です。

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