『ジュピターズ・ムーン』:前半部の長回しと手持ちカメラ、そして空中浮遊がアートのように見えるヨーロピアンSF劇。凄い描写は確かだが、一通り落ち着いた後のドラマが少し単調。。

ジュピターズ・ムーン

「ジュピターズ・ムーン」を観ました。

評価:★★★

ハンガリー国境。シリア難民の少年アリアンは父とともに国境を超えることを目指すが、警備隊の包囲網につかまり、混乱の中、父とはぐれてしまう。何とか国境を越えることを目指すが、直前で警備隊員のラズロに銃撃されてしまう。一方、医療ミスにより将来有望なアスリートを死亡させてしまった医師シュテルンは、国境にある難民キャンプに向かっていた。同僚の医師で恋人のヴェラと共謀し、難民たちに治療を行いながら、アスリートの遺族への慰謝料返済のために裏で賄賂をもらい、治療と偽りながら難民たちの国境越えに密かに手を貸していた。そこで銃撃されたアリアンと遭遇する。銃撃されながらも、何か身体の不調を訴えるが、それは空中を浮遊するという特殊能力を身に着けた前兆だった。はぐれた父を探すアリアンはシュテルンの手を借りて国境越えを果たし、彼の鞄を持って消えた男を見つけるが、その男が地下鉄で自爆テロを起こしてしまう。。第70回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品されたSFドラマ。監督は、「ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲」のコーネル・ムンドルッツォ。

本作を観て、まず目を引きつけられるのが、作品の前半部に集中投入される奇抜な撮影方法。空中浮遊を身に着けたアリアンの描写も凄いんですが、それ以上に凄いのが、全編がほぼほぼ長回しのシークエンスをつなげることで構成されているということ。少し古くて恐縮ですが、海外TVドラマの「ER 緊急救命室」が、こうした手持ちカメラでの長回しでドラマ構成しているので、出てきた当時注目されましたが、同様の方法での映画版といった感じです。それが冒頭でアリアンと父による国境越えの緊迫したシーンから、シュテルンが今の職場としている難民キャンプでの混乱した様子まで、すごくリアリティの高い描写として私たちに迫ってくる。こうした長回しは一発撮りでの緊張感もそうなんですが、手持ちカメラでの立ち回りなど、役者と撮影スタッフとの距離感や、どのカットからキャラクターに迫るのかという構成まで緻密に計算されている必要があるのです。それが見事にハマっていて、スクリーン全体をダイナミックに使い、空間に奥行き感が出ている。これは凄いの一言です。

ただ、こうしたテクニック部分ばかりだと、観ている方もさすがに疲れるので、使われるのは作品前半部まで。シュテルンとアリアンが街の中でラズロから逃亡しながら、無くした鞄なり、はぐれた父親なりを探していくところからは普通の落ち着いた作品になるのですが、肝心のお話自体もそこで1つ落ち着いてしまって、少し単調なドラマが続いてしまうんですよね。アリアンが身につけた空中浮遊についても、きっとキリスト教とか、宗教的な意味合いがあるのでしょうが、日本人にとっては「X-MEN」のようなアメコミ・ミュータントモノに毛が生えた程度にしか見えず、彼が宙を浮くことへのメッセージが希薄。それよりも地上にいる人が宙に浮いたアリアンの存在に、あんなにも気づかないもんですかね、、という余計なところが気になってしまう作品でした。。

次回レビュー予定は、「ミッドナイト・バス」です。

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