『ドリーム』:米ソ宇宙開発競争の中で、静かにNASAに貢献してきた黒人女性たちの物語。いい作品なんだけど、描き方にもう一工夫欲しいところ。。

ドリーム

「ドリーム」を観ました。

評価:★★★☆

1961年の冷戦下、米ソは宇宙開発競争を繰り広げていた。小さな頃から、数字に異様な執着と才能を見せてきたキャサリンはリーダー格のドロシーらとともに、ヴァージニア州ハンプトンのNASAラングレー研究所で計算係として働いていた。同僚のドロシーは管理職になりたいと、メアリーは数字上の計算だけではなく、エンジニアになりたいと志していたが、当時は黒人女性への風当たりは強く、彼女らは思ったようなキャリアを築けていなかった。そんな中、キャサリンはロケットの打ち上げに関する複雑な計算や解析に優れている点を評価され、黒人女性初のNASA宇宙特別研究本部に配属される。しかし、白人男性ばかりの職場環境は劣悪で有色人種用のトイレですら、同じ棟にはないという状況だったが、彼女は職務に奮闘する。彼女の姿に奮い立ち、ドロシーやメアリーも自分たちの夢に向かって羽ばたこうとするが。。第89回アカデミー賞作品賞を含む3部門ノミネートのヒューマンドラマ。監督は、「ヴィンセントが教えてくれたこと」のセオドア・メルフィ。

先日書いた「女神の見えざる手」の感想文でも書きましたが、女性が働きやすい環境になってきたとはいえども、女性議員や企業でのマネジメント職従事者というのは欧米や、下手をすればアジアの中でもまだまだという日本。同じように、理系に進む女性というのも、リケジョという言葉は流行るものの、数としてはまだ少ないのかなと思います。その中で本作は、黒人運動がまだ立ち上がったばかりの1960年代に、同じ時期に進んでいた宇宙開発競争の中にいた黒人女性たちを描いた物語となっています。当時のアメリカはやはり男性優位主義というのが強く、ただえさえ女性というのは数少なかったのに、そこに黒人たちが入ってくる余地などなかったのが実情でしょう。実際に、「アポロ13」や「ライトスタッフ」などの過去の宇宙開発モノで、特に黒人俳優がいたという記憶はあまりなく、どちらかというと白人男性がフロンティア精神をもとに宇宙に飛び出していくというような描き方が多かったように思います。だからこそ、マッチョな白人社会の影に隠れながらも、宇宙競争の中に貢献してきた黒人女性たちを描くという本作は貴重な作品ともいえます。

映画の中でもコンピュータとして、IBMのメインサーバが出てくる描写がありますが、当時はコンピュータはまだバカでかく、扱う人も限られていた社会。とにかく軌道解析は手計算で、計算尺を使い、何回も検算をするような人的資源をフル活用するようなアナログ世界なのです(「アポロ13」でもそういう描写がありましたが)。今でこそ宇宙ステーションでも普通にPCが使われたりしますが、それでもロケットのメインのコンピュータは耐故障性を重要視され、結構何世代前のものが使われるということも聞いたことがあります。当時はそういう世界だったからこそ、ソ連に負けないように猫の手も借りたい状況。とかくマーキュリー計画や、アポロ計画に関しては宇宙飛行士たちを中心としたメインストリームばかり語られますが、掘っていくと、本作のような影に隠れた意外な人たちの話というのは結構あるのかもしれません。

というように、映画化したということで作品としては意義深い位置づけにはなるかと思いますが、映画作品単体で考えると、「ヘルプ」などのように頑張った黒人女性たちがいました、、以上がないのが正直なところ。もちろん、彼女らの逆境に負けない姿というのは美しいし、研究本部のハリソンや宇宙飛行士のグレンなど、人種・性別を問わず、努力し、才能ある人材を登用してきた人の存在もしっかり描くのは好印象なのですが、作品の味わいとしては「ヘルプ」とおんなじなんですよね。もう少し、何か新鮮味があるような展開が欲しかったというのが正直なところです。

次回レビュー予定は、「月と雷」です。

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