『月と雷』:寂しさを知る”根あり草”と、自分の直感で生きる”根無し草”の愛と哀しみに満ちた物語。フワフワとした物語を役者の名演で魅せる作品になっている!

月と雷

「月と雷」を観ました。

評価:★★★★

普通の結婚をし、まっとうな生活を送ることを切望している泰子。そんな結婚を控えた彼女の前に現れたのは、かつて幼き頃に半年間だけ一緒に暮らしたことがある父の愛人の息子・智。突然の訪問に驚きながらも、どこか小さい時の面影を残す智に身を委ねてしまう泰子。これをきっかけに、2人は一緒に出ていった泰子の母親や異父妹、智の母・直子の元を訪ね歩くことになるのだが。。直木賞作家・角田光代の同名小説を、「海を感じる時」の安藤尋が映画化した作品。

本作を観ていて思い浮かんだ言葉が、”根無し草”という言葉。もともとは地中に根を張らずに、水中に浮かんでいる草花をことを指しますが、転じて、確かな拠り所のないような物事や生活の様を指すと辞書には書いてあります。日本の人口の中でもきっと数%は、本作の智や智の母親・直子のように、自分のものを持たず、自分や自分の生活を愛という名の下で支えてくれる人に寄生し、めんどくさい出来事や関係になってくるとプイッと出ていき、次の宿り木を探すような生活をする人たち。多くの人は、よい社会人になれるように勉強をし、仕事をしながら自立をし、いずれは結婚をして、幸せな家庭を築いていく。そうした安定をむしろ怖いと思って生きる”根無し草”たち。自由人と書くといいようですが、独り者な僕でも、彼らのような暮らしはできないなと思ってしまいます。

一方、泰子のほうは”根あり草”として私たちの感覚に近いものの、小さき頃に母親が出ていき、父親も母がいなくなってからは失意のうちに死んでいった。人なき寂しさを知っている”根あり草”なのです。彼女は、その寂しさを埋めようと、あまり好きでもない人と形だけでも結婚をしようとしていた。そこに訪れたのは母親がいなくなった中、半年という短い期間であっても、人のいる幸せを運んでくれた智と、父の愛人となっていた直子。しかし、彼らは一処には長くは留まらない”根無し草”。この作品は”寂しさを知る根あり草”と、”寂しさを知らない根無し草”との幸せな、そして哀しげな物語となっているのです。

自分に真っ正直な智、そして智の母親・直子を演じる高良健吾、草刈民代の2人が実にいい。彼らは本当に自分の本能に任せるように生きている。めんどくさいことが起こりそうになると出ていってしまうのは一見無責任なように思えるのですが、彼らにとっては嘘のない”根無し草”の行動なのです。彼らを無責任と糾弾するのは”根あり草”の言い訳に過ぎない。心に空虚な部分を抱え、”根無し草”たちの行動に翻弄される泰子を演じる初音映莉子も、場面場面ですごく繊細な表情を見せるのも素晴らしい。お話としては”根無し草”の物語なので、フワフワしそうな感じがするのですが、各所での俳優陣たちの好演が映画を地に足付いた秀作に仕上げていると思います。

次回レビュー予定は、「あゝ、荒野 後編」です。

コメントを残す