『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』:妻は死んだが泣けない男の破壊に依る人生取り戻し劇。破壊のあとに残る人の温かみも感じる好印象作!

雨の日は会えない、晴れた日は君を想う

「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」を観ました。

評価:★★★

ディヴィスは傍目から見ると、ウォールストリートで出世コースに乗るエリートサラリーマンだった。しかし、実態は妻の父親の職場にまんまとハマっただけであり、ギクシャクする妻との関係に毎日は少し閉口していた。だが、突然の交通事故に遭い、同乗していた妻は急死する。動揺する周囲とは裏腹に、ディヴィスは妻の死も、自分の感情ともうまく向き合えないでいた。自分は妻のことを本当に愛していたのか、自問自答する日々の中、義父のある言葉をきっかけに彼は身の回りのあらゆる物を壊し始めていく。。「ダラス・バイヤーズクラブ」のジャン=マルク・ヴァレ監督、「サウスポー」のジェイク・ギレンホール主演による人間ドラマ。

人生にはいろいろな目標があり、皆それを見つけ、皆それを生きる糧として生きていく。ある者にとっては、それは勉学や仕事であったり、またある者にとって、それは愛する人とともに生きていくことだったり、、人は各々その目標に向かって生きている、、はずと思うのだが、それは本当なのか??というのが本作のテーマではないかなと、僕は観ていて思いました。主人公ディヴィスは傍目から見るとビジネス界では成功を収めた人物。しかし、そんな彼の実態が、彼をいろいろな意味で彼の生きている世界でつなぎとめていた妻が死んだことで、いろいろなことが明るみに出てきます。彼が活き活きと仕事をしていた場は、妻の父親が事業をしている会社で縁故という意味で雇わされていることに過ぎなかったり、贅沢なモノや豪華な家も、そんな父親の事業によって成り立っていたり、妻の目利きによって設えられたものだったりと。。そんな彼の生活に必要だった妻がいなくなることで、彼は妻が死んで悲しいという感情以上に、何もない自分というものに嫌がおうにも対面せざるを得なくなってくる。妻の死以上に、自分がないことに気づいた彼は、作られただけの今の生活を壊していくことから始めていくのです。

話の内容を観ても、昨年(2016年)に観た邦画「永い言い訳」によく似ています。しかし、妻が死んでも悲しめないという同じようなテーマにしても、その妻との関係を他人との関わりの中で取り戻していく「永い言い訳」に対し、本作は自分自身を社会的に一度抹殺していくことで見直していくという、全く違いアプローチを取っていることがすごく興味深いです。どちらかというと、「永い言い訳」の底辺には冷めきった関係の中にも、とことん人とのつながりを信じる視線があるのに対し、本作は逆に周りの人間によってつくられてしまった束縛(モノとの関係も含め)をとことん破壊するという、どこかロック的なメッセージ性があり、微妙に文化の違いみたいのも感じるのです。ちょっと破天荒に思えてしまう描写もなくはないですが、それほどまでに空虚になってしまった人は、生きていく何かを見つけなければ絶望してしまうということも分からなくはない自分がいたりもします。しかし、その全てを破壊しきった中にも残る人の温かみというのが、大切な人の愛だったりもします。題名のような優しさばかりがある作品ではないですが、どこか人のいいところも素直に描いているとも思います。

次回レビュー予定は、「LION ライオン 25年目のただいま」です。

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