『素晴らしきかな、人生』:最愛の人を亡くした男が遭遇した奇跡の物語。映画の至るところにマジックがかかっている傑作!

素晴らしきかな、人生

「素晴らしきかな、人生」を観ました。

評価:★★★★★

広告代理店の代表ハワードは最愛の娘を亡くし、失意の底から抜け出せずにいた。落ち込んで仕事も手につかない様子に、同僚たちからも心配されていた。そんな彼の前に、ある日3人の奇妙な人が現れる。3人はそれぞれ、”死”、”時間”、”愛”という、ハワードがいつも語っていた3つのテーマに基いて現れたのだという。その3人との出会いによって、ハワードの人生がゆっくりと変わっていく。「プラダを着た悪魔」のデヴィッド・フランケル監督が、深い悲しみを乗り越える力を象った人間ドラマ。

アクション映画でバリバリという印象が強いウィル・スミスが、「幸せのちから」や「7つの贈り物」など、時々手がけるハート・ウォーミングな人間ドラマに出ることがあるのですが、本作もそういう類のものの1つだと思います。しかしながら、過去のウィル・スミスものでも随一とも思えるいい作品でした。まず、ハワードの前に現れる3人の不思議な人物の設定がいいんです。よく演劇でも、美術でもありますが、”死”や”愛”などの抽象的なものに対して、意味付けを行い、それに対して語りあげたり、表現したりという姿勢が日本にはあまりないので、とても新鮮に映るのです。特に、僕は映画でも語られる”時間”については考えさせられますね。”時間”は理系的な視点でいうと、物理的には不可逆な1つの次元ではあるのですが、時間によって、モノは生まれ、風化し、滅んでいく、、いろんな楽しいことも、悲しいことも、時間は関係なく無情に過ぎ去る。その中で、人は”時間”に耐える存在でありながら、どう贖おうとしていくのか、、考えるとすごく深遠なテーマなのですが、これを本作では真面目に正面から捉え、ハワードの前で1つの演じ手として表現されていく。これは”死”と”愛”についても同じで、こうした抽象的なものが劇映画の中で着地させていこうとするの技がすごいと思うのです。それに応える、ヘレン・ミレン、キーラ・ナイトレイに、新鋭のジェイコブ・ラティモアの3人の俳優陣も名演を見せています。

それに、フランク・キャプラの名作「素晴らしき哉、人生」になぞらえた邦題も然りなのですが、この抽象的なテーマを負う3人の不思議な人物を、最後まで不思議な抽象的なままにしておいたのも、映画として1つのマジックをかけていると思います。それがハワードだけでなく、3人の不思議な人物と歩む、ハワードの同僚たちのドラマにもマジックをかけていくのがいいんです。人生というドラマは人の数だけあるのですが、ハワードという人物だけではなく、その周りにもいろんな人生が取り巻いていることを示しながら、決して単純な群像劇にならない構成がいい。もちろん、ハワードがメインな分だけ各々のサブエピソードとしては語り足りない部分もありますが、ここまでうまくピースをはめていく脚本もなかなかないかなと思います。

メロウなドラマ構成でありながら、ドミノの描写などで客観的な視座を取り入れながら、全体的に締めるクールな映像構成も、「プラダを着た悪魔」の監督さんらしい持ち味だと思います。若干、クリスマス映画っぽく(内容的には絡まないですけど、、)も感じられるので公開時期が少し微妙だったかなと思いますが、邦題に恥じない素敵な作品だと思います。

次回レビュー予定は、「ドラえもん のび太の南極カチコチ大冒険」です。

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