『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』:不思議なすれ違いの恋を描く、哀しき愛の物語!期待していなかったせいか、物語の巧みさに脱帽させられた!

ぼくは明日、昨日のきみとデートする

「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」を観ました。

評価:★★★★☆

京都の美大に通う南山高寿は、通学電車の中で見かけた女性に一目惚れする。彼女が駅に降りたとき、思い切って告白をするが、意外なことに意気投合し、また明日会うことを約束する。しかし、その彼女・福寿愛美は別れ際にこっそりと涙していた。それから二人は付き合うことになり、周囲も羨むほど幸せな時間を過ごしていく。そんなある日、高寿は愛美が家に忘れたメモ帳を見ると、そこには不思議なことが書かれていた。慌てて、愛美に連絡を取ると、彼女から驚くような秘密を明かされる。。七月隆文の同名小説を「アオハライド」の三木孝浩監督が映画化した作品。

「古都」に続き、京都が舞台なら観ないといけないでしょーシリーズの第二弾(笑)。これが意外に意外なほどにしっとりとしたいいラブ・ロマンスでした。しかし、普通のラブドラマではなく、予告編で観られるように付き合っていく2人の間には、ある重大な秘密が隠されています、、、といいつつも、映画のタイトルそのままなので、これはネタバレにはならないでしょう。詳しくは作品を見て欲しいと思いますが、”ぼく(高寿)が明日(には)、昨日のきみ(愛美)とデートする”という設定になる。映画は高寿目線で描かれるので、高寿にとっての明日に、昨日の愛美とデートしていくことになる。つまり、愛美にとっての明日は、昨日の高寿とデートしていくことになる。どこまでも埋まらない、すれ違いのそれぞれと毎日出会っていくことになる。ファンタジックではあるのですが、それぞれにとって今日の幸せな日々は、明日の相手は過去になるので覚えていないという悲しい物語になるのです。

こうした逆向きにそれぞれが進んでいくという設定は、過去の映画を観ても初めてだと思います。似たような作品という意味では、2008年公開のブラッド・ピット主演の「ベンジャミン・バトン」が未来に向かって若返っていくという、不思議な男性と付き合う女性を描いていましたが、これにしても同じ時間軸で未来に進むなの対し、本作は、今日という一日はお互いに共有できるものの、明日になれば、今日の自分は昨日の彼女と、今日の彼女は昨日の自分と付き合うことになる。それも出会いは一方が非対称になっているので、未来に向かって愛が深まるのではなく、時間が進むにつれて、相手は初めて出会ったときのような浅い関係になっていってしまうという哀しさが含まれている。無論、SF的に考えてしまうと、仮に相手が不意に亡くなってしまったら、一方にとって出会った記憶も忘れてしまって、逆タイムパラドックスみたいなことが起こるじゃないか、、とSFファンには怒られそうですが、映画ではそこはパラレルワールドとして、上手くぼかして、ラブドラマに集中しているのがよい効果を生んでいると思います。

主人公の高寿を演じる福士蒼汰の演技もいいのですが、この作品で光っているのは、断然ヒロインを演じた小松菜奈。物語の方向として、男はロマンチスト、女はリアリストとしての立場が貫かれているように思うのですが、逆行していく中で、高寿の恋物語をとことん演出しきろうとする、愛美の生真面目さ、愛情の深さを存分に表現していると思います。三木孝浩監督は学園モノを中心にラブロマンスを数多く手がけていますが、大学生という設定ながら、大人が観ても耐えうる上品な演出をしていると思います。それに京都の街のどこか神秘的な部分が、このファンタジックなお話にうまく調和していると思います。自宅から歩いて数分のところが出てくるので、思わず吹き出してしまいましたが、エンドクレジットに至るまで優しく美しい京都が出てくるのも、高評価したいところです。

本作をもって、2016年劇場鑑賞映画感想文は終了となります。次回は年末恒例、「2016年 劇場鑑賞映画ベスト10【洋画編】」です。

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