『湯を沸かすほどの熱い愛』:やけどするくらいの熱い愛のドラマに目頭が熱くなるが、ラスト部分は正直冗長だと思う。。

湯を沸かすほどの熱い愛

「湯を沸かすほどの熱い愛」を観ました。

評価:★★★☆

銭湯・幸の湯を営む幸野家は、1年前に父・一浩が出奔し、休業している状態だった。母・双葉はパートをして娘・安澄を育てていたが、学校でイジメにあっているのか、いつも顔が冴えない心配な状態が続いていた。そんな最中、突然、余命わずかと宣告されてしまう。すると双葉は“ぜったいにやっておくべきこと”を決め、それを1から実行していくのだった。。インディーズ映画出身の中野量太監督による長編デビュー作となっています。

ちょうど直前に書いた「バースデーカード」も、死にゆく(というか、あちらは死んだ)母親から家族にメッセージという同じようなスタイルの形が続く作品となっています。でも、作品の色は好対象。「バースデーカード」は純白で非常に穏やかな形の作品なのに対し、本作はタイトル通りにとっても熱い作品。本作は、まだ生きている母親が残された人生で、自力で家族をまとめ、変えていくというアプローチを取っていて、自ら身体に鞭打って動いている分だけ、その行動に熱さが出てくるのが当然といえば当然。それでも双葉がなぜそんなに”ぜったいにやっておくべきこと”に固執して行動していくのか、、というところに、実は彼女にとって隠された過去が絡んでくるというのも、物語に大きな厚みを持たせていると思います。

「紙の月」では自らを擦り減らして犯罪に手を染める女性を好演した宮沢りえが、本作では逆に悲しい過去を覆い隠すように、気合を持って生きる女性を熱演しています。彼女自身が線が細く、また役柄的にも病魔に侵されてやせ細っていく設定で、見かけは弱々しくなっていくのですが、それとは真逆に生きているパワーを全面に出していく女性を熱演しています。少し早いですが、本作でも来年の日本アカデミーなどの賞レースには絡んでくるように思います。それと好対照な父・一浩は出奔してしまうくらい頼りないのですが、その頼りなさが終盤では家族を見守る優しさに転化していくはなかなか。この役柄もオダギリ・ジョーがぴったりとハマっています。

こうした役者陣の熱演も光るのですが、僕はどうしてもラスト部分が少し冗長なような気がしてなりませんでした。後半の花火くらいのシーンで終幕にしてもよかったんじゃないかな。。その後のエピローグみたいなシーンは逆に痛々しいし、タイトル通りしなくても、、というラストも、もはやコントのようにしか思えません。中盤までの熱いドラマが、ラストで少し冷めて少々ヌルくなってしまったように感じた鑑賞でした。

次回レビュー予定は、「奇蹟がくれた数式」です。

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