『シン・ゴジラ』:全く新しいゴジラ映画の形は痺れるくらい面白いが、感情が同居しない本作を傑作と呼びたくない。。

シン・ゴジラ

「シン・ゴジラ」を観ました。

評価:★★★☆

「ゴジラ FINAL WARS」以来12年ぶりに日本で製作された、「ゴジラ」シリーズ第29作目(平成ゴジラシリーズから数えると14作目)。ある日、東京湾にて謎の水蒸気爆発が発生する。総理の耳にも入り、官邸は緊急事態への対応に追われる。最初は単なる事故と思われたが、現場から巨大生物が現れ、事態は急変する。当初から巨大生物の可能性を訴えながら、誰にも耳を傾けてもらえなかった内閣官房副長官の矢口は、事態の急変に危機管理の最前線に立たされる。巨大生物はゴジラと名付けられ、日本国民は初めて直面する恐怖に、街中パニックに陥る……。庵野秀明と樋口真嗣が短編「巨神兵東京に現わる」に次いで再びタッグを組んだ作品。自衛隊の全面協力のもと撮影を行い、これまでのシリーズで最大の体長118.5メートルものゴジラをフルCGで描く意欲作になっています。

一昨年前の2014年に公開されたハリウッド版「GODZILLA ゴジラ」は、日本が持っていた従来の怪獣映画の良さを海外作品が上手く模倣した傑作になっていました。それを見て東宝が焦ったのか、当初の計画通りだったか分かりませんが、2004年に終幕されたはずの東宝ゴジラシリーズが再び復活しました。「シン・ゴジラ」と名付けられた本作は、ゴジラ映画は日本が本流だという”真”ゴジラなのか、それとも新しい幕開けの”新”ゴジラなのか、それとも庵野総合監督の「エヴァンゲリオン」シリーズを模倣した”神”ゴジラなのか、、、これも分かりませんが(笑)、少なくとも従来のゴジラ映画の流れからは完全に新しい潮流を作った作品だと思いました。

まず、目を引くのは、ゴジラがフルCGで描かれるということ。怪獣映画やウルトラマンシリーズなどの、いわゆる着ぐるみ&ミニチュアセットの怪獣映画を脱皮し、新たなステージにゴジラ映画が立ったということになります。無論、VFXやCGなどは平成ゴジラシリーズ以降もやっていましたが、あくまでゴジラは人が演じる(着ぐるみ)ということに固執していたのが、フルCGになったことで、ゴジラ自体が人の化身・模倣の生物から、本当の1匹の生き物として独立した存在になったということ。本作では、そうしたゴジラを1作目ゴジラのような恐怖の総体として描いていきます。ハリウッド版が日本の怪獣映画にトリビュートしたのとは完全に逆らい、ゴジラは人間の意などを微じんも感知しない。この兆候は庵野&樋口監督の「巨神兵東京に現わる」にも見えたことですが、この双方真逆なアプローチが非常に興味深いところです。

本作はそうした恐怖の総体ゴジラに対し、日本が如何に対抗していくのか。よくも悪くも文民立国たる日本国の危機管理の内幕を非常に面白く描いていくのです。見ていて、これは今までのような怪獣映画の枠ではなく、社会派アクション、リーガルアクションのような面白さがあるような作品に見えました。政治家というのは国会でいろんな政策を決めるわけですが、その政策1つ1つが法律として制定されていて、法律文書の一字一句に対応して社会が動いていく。それは見かけ上は文民国として当然なのですが、ゴジラのような危機事態では、途端に何も動けなくなってしまうことが、まさに面白おかしく描かれていくのです。展開もスピーディーで、人物のカットがほぼ寄りで撮影されている絵作りが切迫感をまた盛り立てて、いい効果を生んでいるのです。この面白さは本当にクセになると思います。

ただ、この作品、見ていて感情が入り込む隙が全く無いのです。上記の通り、ゴジラは恐怖の総体なので、従来の怪獣映画のようなゴジラそのものには感情は入れ込めないし、国民も、戦う自衛隊や後方支援部隊も相当数が犠牲になっているのだろうけど、そこの部分は全く描かれず、ひたすら指令を出す中央部しか描かれない。無論、台詞やそれらしいインサートは入るものの、一風景としてしか映らず、ひたすら無能政府と、そこから脱却して日本を救うために奔走する矢口たちの物語しかないのです。庵野総合監督の「エヴァンゲリオン」シリーズになぞるならば、常に泣きながら、悩みながら感情を爆発させる碇シンジのような存在が、この映画には全くないのです。そうした感情を鋳抜きした映画を面白いと思うか、思わないかで、この映画の評価は分かれると思います。

次回レビュー予定は、「フラワーショウ!」です。

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