『葛城事件』:犯罪はどういう過程で起きてしまうのか、、その1つの仮説を追体験させる秀作!

葛城事件

「葛城事件」を観ました。

評価:★★★★

どこにでもいる平凡な家族・葛城家。しかし、この家の壁には大量に落書きされた“人殺し”、“死刑”などの誹謗中傷の落書きが埋め尽くしている。それを何食わぬ顔でペンキで消すのは、この家の主人である葛城清。彼の次男が起こした無差別殺人事件をきっかけに、葛城家は既に崩壊していた。なぜ、こんなことが起こったのか、、死刑制度反対を使命に、その次男と獄中結婚を希望する女性・星野順子によって、事件へ向かう崩壊模様が紐解かれていく。。初監督作「その夜の侍」で注目を集めた赤堀雅秋監督が、再び自身が作・演出を手掛けた舞台劇を映画化。主人公・葛城清を三浦友和が恐ろしいほどの熱演をしています。

テレビのニュースやワイドショーを追っていると、ときに惨劇と思えるような事件が次々と発生しています。そうした残虐な事件が起きてしまう背景として、よく話題に上がるのが、犯人の家庭環境がどうだった(親に虐待を受けていた等)とか、学校や職場でイジメなどの精神的なストレスを抱えていたとか、ドラッグなどの外因性の薬物に原因があるとか、はてまた極論として映画でも描かれるのが、先祖代々そういう犯罪遺伝子が埋め込まれているとか、そうした因果応報の法則のような報道の仕方・描かれ方をしてしまうことがよくあると思います。人がなぜ犯罪を犯すのか、そうした明確な答えというのが精神科学的にあるのかないのかは分かりませんが、個人的にはそうした因果というものに全てを押し込めてしまうのは考え方として浅はかなのかなと思っているのです、、、が、本作を観ていると、何かしら人間関係のタガが外れたことが、人を何かあらぬ方向に駆り立ててしまい、それが戻れないところまでくると犯罪として表層化してくるのかと思ったりします。逆に言えば、そうした暴走を起こしてしまう人に対し、自分自身であったり、周りを囲む他人であったりが、何かを許せば、こうしたことは起きないんじゃないかとも思うのです。聖書でも、「汝の敵を愛せよ」という言葉があるように、古くからそうした尖った思いを許す(懐柔する)ヒントは古くから教えられてきたと思うのですが、それができないのが人間でもあったりするのです。

とにかく、本作は冒頭から骨太感が満載。平和な住宅街に、突如”人殺し”という落書きだらけの家が迫ってくるところからスタートするのです。それを歌を口すざみながら、異様な黒いオーラを放つ男が、黙々とペンキで落書きを消していくところから始まるのです。本作はホラーではありませんが、見方にしたら、こうした作品じゃないかと思われるような負の重い空気が、作品の凄いいい味になっているのです。「その夜の侍」のこうした暗いオーラを放つ傑作でしたが、赤堀監督は、こうした味を上手く映像化していると思います。

物語としては、そうした無差別殺人が起こった後から、事件に向かうまでをフラッシュバックしながら、事件後のシーンと並行して描いていきます。そこで事件には全く関わりのない星野が第三者的なところから、事件に土足に入り込んでくることで、この葛城家で事件前に起こった崩壊が徐々に見えてくるのです。その中で分かるのは、家族関係に起こるほんの少しのタガの外れが徐々に大きくなっていく悲しさ。作品としては、父・清が一番の悪者のように思えてくるのですが、僕は清が登場人物の中では一番何とかしたいという想いが強いが上に、逆に家族の軋轢がドンドンと開いてしまったように思います。父親にしろ、長男にしろ、ほんの少し弱い自分を家族の前に晒しだせば、もしかしたら次男が起こした悲劇は防げたかもしれない。作品としては、最後にその無差別殺人のシーンが挟まることで、家庭内で収まっていた負の渦が大きな暴力という形で他人に刃を向いてしまった悲劇が嫌な感じで胸に残ります。この嫌な感じこそ、この作品が残す傑作な部分なのです。

次回レビュー予定は、「ブルックリン」です。

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