『或る終焉』:淡々とした中に、その人の生き方を映し出していく快作!!

或る終焉

「或る終焉」を観ました。

評価:★★★★★

終末期医療を題材にした、ミシェル・フランコ監督のカンヌ国際映画祭脚本賞受賞作品。主演はこういった小品から、ハリウッド作品まで分け目なく出演しているティム・ロス。介護、安楽死、離婚、孤独、、様々な問題を提起している秀作となっています。

映画は1本の中に様々な人間ドラマが交錯していきます。そのドラマ1つ1つを生み出しているのは人間なのですが、この人という存在は、他の生き物にはない高度な知能と、豊かな感受性を持っているからこそ、人はドラマを生み出せる。逆に客観的に、こうした人のドラマを観て、涙したり、笑ったり、憤ったりすることもできるのも、他人の想いというのを感じることができるから可能になっていること。他の生物には、こうしたことは見られない。だからこそ、1人の人間が生きるということは奇跡に近いことなんじゃないかと思ったりします。

しかし、逆に、そうした高度なことができる人も生物の1種でもあるのです。病や老いに苛まれたとき、普段なら楽に人との交流できるのに、重い身体に人の感情が囚われたようになる。でも、そうした中でも人は人で在り続けることが、本作を見るとよく分かります。本作で登場するのは、ティム・ロス演じる看護師デヴィッドが関わっている終末期患者。思わぬように身体が動かなくなっている彼ら彼女らを忠実に、そして適切までに生活をサポートするデイヴィッド。仕事に関しては完璧主義の彼も、私生活では別れた妻の間に、疎遠になっている娘の存在が気になってしょうがない。うまくいかない私生活を覆い隠すように、自らの存在を偽って生きる彼の生き方は、終末期患者をケアするリアルな毎日とは裏腹に、どこか偽りの世界に身をおいている。でも、こうした生き方をしているからこそ、彼は仕事に対してはとことんプロフェッショナルなやり方を貫き通していくのです。

看護や介護というのは、リアルな肌と肌の触れ合う行為がどうしても発生し、そこに人の息遣いみたいなものが伝わってくる現場だと思います。本作を見ていても、そういうシーンのある種の生生さが伝わってきます。でも、逆にそうした生々しい関係とは別に、言葉を通じた人と人との普通の関わりも、当然ながら同居する。その中で、デイヴィッドは偽りの世界を作って自分を防御し、逆にリアルな仕事の現場を追求していくのです。そこに娘との関係が氷解してきた時、彼の人生の歯車は空転せずに、じっくりと全ての歯車が回りだそうとする。しかし、それを断絶するようなラストは、これもまた人生という不思議を象徴しているように思います。淡々とした情景の中に、いろいろなデイヴィッドの所作から、いろんな感情を想起させる秀作だと思います。何か大きなドラマが起こるわけではないので、感じないと眠いだけの作品かもしれませんけどね。。

次回レビュー予定は、「神様メール」です。

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