『山河ノスタルジア』:時とともに移りゆく時代と世界に、人々はただただ翻弄されるだけ、、

山河ノスタルジア

「山河ノスタルジア」を観ました。

評価:★★★★

過去・現在・未来の三つの時代を舞台に、変貌する世界と、それでも変わることのない母と子の愛情を綴った壮大な叙事詩。監督は「世界」、「長江哀歌」のジャ・ジャンクー。僕は2006年のジャンクー監督の「長江哀歌」が凄く好きなんですが、ジャンクー監督の持ち味は大きな時代の流れの中で、必死に時代に抗おうとしたり、適応しようとする人々と、変わっていく周りの世界の対比が見事で、その中でも大きな世界観の中で生きる人を浮かび上がらせるのが絶妙なんですよね。前作の「罪の手ざわり」はバイオレンスな描写もあり、個人的には好きなお話ではなかったのですが、それでもジャンクー監督の持ち味は活きた作品でした。本作は、山西省とオーストラリアという2つの世界を舞台に、変わっていく時代と変わらないものを描いた、ジャンクー監督の十八番(おはこ)ともいえるジャンルの作品ともなっています。

今回描かれる舞台は過去は1999年、現在は2014年、未来は2025年という設定になっています。まず、過去では小学生教師のタオと、幼馴染の炭鉱労働者リャンズー、実業家のジンシェンとの三角関係が描かれます。1999年というのは、僕にとってもほんの数年前という感覚の時代ですが、中国が舞台となると、描かれ方はまるで1970~80年代のような様相。それだけ当時の中国というのは新興国であり、そこでの文化も先進国の20年遅れのような形になっていたことが伺えます(それでもディスコで踊るのは、当時の最新ナンバー(R.E.M.?)だったりするところが面白いのですが)。それが2014年の現代となると、タオが結婚し、息子を授かるものの、離婚し、父親と息子とは離れて暮らしていることが分かる。こうした離婚した後の中年女性となったタオのシングルライフや、息子ダオラーとの関わりなどは、もう私たちが理解できるような現代的な感覚なんですよね。たった15年で、中国国内が文化的にも急激な成長を遂げたことが、こうした映画の描かれ方としても分かるところが面白いところです。

そして、未来の2025年。中国映画で近未来を描く作品を観たのは初めてじゃないかと思います。舞台が中国ではなく、オーストラリアというのが残念ですが、「ブレードランナー」のような中華テイスト溢れる形ではなく、ハリウッド映画にでも登場しそうなスマートな未来社会を描けているのが好印象。それでも中国人俳優が演じるので、中華のデリバリーとかは今っぽい感じに退化していますが、それはそれで味があっていいです。ダオラーが母親の虚像を女性教師に、そして実際の母親像と重ねあわせていくドラマも美しく描かれていて、描かれる背景とも一致したスマート感が出ているのがまたいいんです。ダオラーを演じたドン・ズージェンの自然で、かつ幼さをも残す演技力も見事です。

ジャンクー監督の味わいを十分感じれる良作ですが、唯一、タオとジェンシェンとの物語が深くなるのに対し、もうひとりの幼なじみのリャンズーが知らない間にフェードアウトしていくのが、個人的にはどうも解せなかったです。”普遍的な母性”がテーマであるのなら、タオの存在が大きくなるのは分かるのですが、、タオを一番想っていた存在なのに、、ね。。この辺りは細かい好みの問題かもしれませんが(笑)。

次回レビュー予定は、「ヘイル、シーザー」です。

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