『あさがくるまえに』:ある1人の青年と音楽家で繋がれる命のリレー。日常のある1日をすごくドラマティックに描く医療ドラマの秀作!

あさがくるまえに

「あさがくるまえに」を観ました。

評価:★★★★★

大西洋に面したフランス北西部の都市ル・アーヴル。夜明け前、彼女がまだまどろみの中にいる間、シモンはそっとベッドを抜け出し、友人たちとサーフィンに出かけた。しかし彼が再び帰ってくることはなかった。帰路、交通事故に巻きこまれたのだ。その報せを受け、脳死の判定を聞かされた両親は、現実を受け止められずにいた。シモンが蘇生する可能性は低く、両親は医師から、移植を待つ患者のために臓器の提供を求められる。だが、その時間的猶予は限られていた。一方、パリ。音楽家のクレールは、自分の心臓が末期的症状であることを自覚していた。生き延びるための唯一の選択肢は、心臓移植。しかし彼女は、他人の命と引き換えに若くない自分が延命する意味を自問自答している。そんな時、担当医からドナーが見つかったという連絡が入るのだが。。心臓移植という現実に直面したドナーの家族や恋人、医師たちの葛藤を、1日の物語として繊細なタッチで綴る。フランス映画界期待の新鋭カテル・キレヴェレが、数々の文学賞に輝いたメイリス・ド・ケランガルのベストセラー小説を映画化したヒューマンドラマ。

あなたは今日どんな1日を迎えているだろうか。もう当然のことで語らずもながですが、今日という1日に新しくこの世に生まれてきた人もいれば、今日という1日で人生を終える人もいる。誕生日や入学、入社で新しい人生の再スタートを切る人もいれば、仕事の失敗、家族・友人の訃報で悲しみの中に浸る人もいる。物理的な時間軸の中では、地球に住んでいる限り1日24時間というのは変わることがないし、生物学的に1日という時間がすぎれば、人は成長し、同時に老化もしていくというのは変わらない。少し刹那的かもしれないですが、第三者的に見ると日常というのは変わらない中で、人生がどうドラマティカルになるかというのは、与えられた世界の中で、人がどう感じ、そしてどうその1日を生きていくかという決断や意識を持っているかなのかなと思います。そして、その人生を大きく左右する瞬間を描き出したのが、本作ではないかと思うのです。

戦争や災害などの非日常とは違い、人の外から大きく揺さぶられる人生の瞬間が存在するのが医療現場なのではないかと思います。本作では、不慮の事故にあった1人の青年と、日常的に命の危機にさらされていた1人の音楽家が、医療現場の中で命が繋がれていく様を描いています。感想文でも何回か書いていますが、人の生死というのは当の本人であったり、家族・友人であったりにとっては一大事なことですが、大きく世界から見ると、それを含めて日常なんだと僕は思います。僕がこういう死生観に立つのも、持病で小さい頃に小児病棟に何回か入院していて、そこで命が簡単に亡くなっていく様を見ているからかもしれません。昨日まであんなに元気に一緒に遊んでいた子が今日はICUで危篤状態になったり、一方では手術明けの子が明日には元気に退院していってしまう。そういう様を当たり前のように見ていて、人生は不公平であると思うし、広く見ればそうした日常が私たちの世界なんだと思うのです。だからこそ、命はどんな状況であれ、自分のも他人のも大事にしないといけない。作品を見ていて、その想いを改めて強くしました。

作品の捉え方はいろいろあると思いますが、僕は本作は医療ドラマだと思います。よくできていると思うのは、シモンとクレールという2人の人間が同じ生命をつなぐというところは叙情的に、しかし医療現場のドクターであったり、移植コーディネーターであったりは、お仕事映画のように確実に仕事をするテクニシャンとして描かれるところです。この叙情っぽさと実務の姿のバランスがすごくいいのです。それに手術などの医療シーンが、まるでその場にいるような(臓器の描写も含め)緻密な描き方になっているのは驚きでした。フランス映画は概して、こうしたリアルな描写にこだわりを魅せるところがあるのですが、交わされる台詞も含め、この映画は一級品。この緻密さが感動を盛り上げる一翼を担っていると思います。

自分も、医療分野の末端に関わる仕事をさせていただいていますが、改めて、この分野を支えることを続けていきたいなと思わせてくれる作品です。医療や介護関係、またそれを目指す人には是非観て、命とは何なのかを考えてもらいたい作品です。

次回レビュー予定は、「シェイプ・オブ・ウォーター」です。

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