『ザ・サークル』:ソーシャルメディアが発達した今だから問われるコミュニティの価値!ソーシャル至上主義は独裁社会より厄介だと思う。。

ザ・サークル

「ザ・サークル」を観ました。

評価:★★★★

地元のコールセンターで働くメイはいつも気にかけてくれる幼馴染と、優しい両親のもとで慎ましやかな生活を送っていた。しかし、収入は上がらず、オンボロ車を運転する日々。少しでも収入を上げるべく転職を志していたメイのもとに、巨大SNS企業サークルに就職できる機会が転がり込む。意気揚々と出社したメイは今までの生活と違い、時代の最先端をいく会社での業務に戸惑いながらも、徐々に仕事に慣れていった。そんなある日、カリスマ経営者ベイリーから、生活のすべてをネットでシェアする新サービスのモデルケースに抜擢され、膨大なフォロワーを集めることになるのだが。。「人生はローリングストーン」のジェームズ・ポンソルト監督が、原作者デイヴ・エガース(「王様のためのホログラム」)と共同で脚本を執筆し、映画化した作品。

Twitter、Facebook、LINE、InstagramなどのSNSはもはや現代人には必須のツールになりつつあります。中学生くらいがインターネット黎明期で、通信料が気になって動画を見るのも気になってしまう(→あくまで固定回線での話)とか、ブログってすごいなーと思っていたような自分の若かりし頃に比べると、LINEでコミュニケーションをうまく使いこなす若者たちを見ると、自分もオジサンになったのだなと思いますが、時たま電車とかで見るスマフォをいじりながら、会話もなく一緒に帰っている高校生たちとかを見ると、コミュニケーションを促進させるためのソーシャルメディアの在り方って何なんだろうなと思ったりもするのです。実は今年になって、ちょっと書道をかじって習いに行ってたこともあり、モノを書くという行為に興味を持っているのですが、メール等、ビジネスの場でもモノを書かなくなってくると、1つ1つの文字の奥深さとか、昔の人がそれに込めた意味、それを文字として表現するときの難しさに改めて驚嘆したりします。パソコンやスマフォで簡単に文章が作れる時代の、人と人とをつなぐメディアだったり、コミュニケーションの価値というのが今後どう評価されてくるのか。本作は1つのディストピアとしての未来が提示される、スリラー劇となっています。

本作を観て怖いなと思ったのが、何でもシェア優位(コミュニティ優位)主義というところでしょうか。便利なこと、クールなことはもとい、困っていることまでもシェアすることで誰かが助けてくれるから、積極的にシェアしなさいというサークル社の同僚は、僕にとっては胡散臭い新興宗教の勧誘のように質が悪いものに映ってしまいました(笑)。もともとインターネットの良さはコスト0で誰でも発信でき、同じく誰でも情報を受信できるということ。それが例えば、ソフト開発であったり、教育という分野では優位になって、人類共通の価値を創出していくという意味でネットは一役買っていると思います。しかし、同時に民主主義が成り立っているはずのネットで、多数派が良しとされてしまうところもあったりする。多くの人のためにシェアしなければならないとか、ネットに多く書かれたことが正義(いわゆる炎上問題)になってしまい、”みんなのために”が行き過ぎてしまうと、それがネット至上主義的な一面をも覗かせてしまう。自由と平等は成立しないとよくいいますが、その論理だとネットが提供してくれた平等が加速しすぎて、個人の自由を奪いかねないのです。これは1つ1つがネット市民の民意なだけに、変な独裁社会よりもタチが悪いなと思います。

本作のメイは、いわばネット社会のそうした見えてるようで見えない暗部に落ちてしまう女性。お話としてはよくできているし、サークルの描写も今流行りのネット企業の未来系をうまく表現しているとは思うのですが、メイを演じるエマ・ワトソンの演技があまりに賢く見えてしまい、そうした暗部に落ちるような危うい女性に見えないところが(あのラストのオチにするにしろ)ちょっと残念かなと思います。ここはもう少し流行り物にすぐ手を出し、ネットアイドルになりそうな女性像にすべきだったと思います。また、本作が遺作となってしまったメイの父親役を演じたビル・パクストンには改めて敬意を評したいと思います。

次回レビュー予定は、「ゴッホ 最後の手紙」です。

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