『はじまりへの旅』:母の葬儀に参列するために旅をする破天荒一家のロードムービー。ちょっとおかしな作品だが、実はすごく真面目なテーマを描いている!

はじまりへの旅

「はじまりへの旅」を観ました。

評価:★★★★

アメリカ北西部の森の奥深くで、現代社会に触れることなく6人の子どもたちと暮らすベン・キャッシュ。彼は子どもたちに、山林でのサバイバル術や鍛えられた身体だけではなく、幼き頃から難しい思想論や宗教学、相対性理論や量子論などの本を読破させ、ベンの前で討論するなどの教育も抜かりなく行ってきた。しかし、そんな賢い子どもたちの心に引っかかっていたのは、大好きな母親が入院してしまっていること。ある日、そんな母の家族から闘病の末、母親が自ら命を断ったことがベン一家に伝わる。彼らは母親の葬儀のため、一家は2400キロ離れたニューメキシコへと旅立つことになのるだが。。。ヴィゴ・モーテンセンが風変わりな大家族の父親を演じるロードムービー。監督・脚本は「グッドナイト&グッドラック」など俳優としても活躍するマット・ロス。

ちょっとおかしな家族のファミリー&ロードムービーなのですが、これがヘンテコながらも実にいろんなことを考えさせられる良作でした。僕は本作の底辺には家族の物語だけではなく、そこに根付く家族の教育観みたいなところがあるのかなと感じました。ベン一家は破天荒な父親に従い、家族で森でナチュラル志向な生活を送るだけではなく、そんじょそこらの学校に行く子どもたちより、多くの知識と見識を備えた一流の教育を施している。今でも欧米の一部では、日本のように学校に行くのではなく、義務教育期間は家庭で教えるという中世頃からのスタイルを貫く人々もいますが、ベン一家もそういう家庭だといえるかもしれません。確かに、学校に行っているものの、家に帰ればゲームばかりして、今の首相も誰かも言えない、分数の計算もできない大学生もいたりして、学校に行く意味ってあるのかなと思ったりも、僕も思っていました。じゃあ、果たしてそんな意味のない学校に行かず、家でじっくり本を読みながら、知識を蓄えればいいのか?と言われると、それが全て正解というわけとも思えない。じゃあ、その間にある壁とは何なのか、、本作はベン一家の目線を通じて、そこに迫っていくのです。

僕も社会人になって分かったことですが、”学校”(もしかしたら”職場”も、”家庭”も)になぜ行くのかというと、実は世の中は本に書かれる理論のように、完璧じゃないという”不完全さ”を学びに行くとこじゃないかと思います。世の中は、例えば、ビジネス書に書かれていることや、地球や生命の原理について触れている理系的な本にある知識についても、100%それがそのまま起こることはないのです。それは単純に誤差という話ではなく、世の中に発見されていないことなんて無数にあると思うし、特に人の心の感情などは瞬間瞬間、個人個人によって変わり、本に書かれているように理論的に物事が進むことなんて皆無に近い。でも、本に書かれていることが意味がないのではなく、そこに書かれている”大筋正しいこと”をもとに、僕らは”不完全な”現実に立ち向かわないといけないということだと思います。それを場として学ぶのが、”学校”という場所ではないかと思うのです。

本作では、子どもたちは母親の死を元に、それぞれが悲しい現実というのをどう乗り越えるべきなのかという、”本に書かれていないこと”を解決する旅に出るのです。最初見ていると、子どもたちの祖父(母親の父)は、子どもたちをちゃんと育ててきたベンを受け入れないというのが、すごく残酷なことのように思えるのですが、その祖父の口からベンの破天荒な行動をどう母が思っていたかを告げられるのです。愛する父親の前では、従順でしかなかったはずの母の心の中は、やはり本のような理論的・表面的なところだけでは推し量ることができなかった。そのとき、ベンも、子どもたちも、自分たちが母から、母を亡くした悲しみというものから、どういうふうに”はじまらない”といけないかを悟っていくのです。ラストシーンの実に穏やかな朝の一瞬がすごくいい。こんな素晴らしいラストシーンの映画は久しぶりに観ました。「はじまりへの旅」という邦題も、ここ数年の洋画の邦題の中では最高なものだと思います。

次回レビュー予定は、「わたしは、ダニエル・ブレイク」です。

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