『ボヤージュ・オブ・タイム』:2つの母を求めて、壮大な時間の旅を描くドキュメンタリー。いろんな意味でぶっ飛んだ作品だと思う。。

ボヤージュ・オブ・タイム

「ボヤージュ・オブ・タイム」を観ました。

評価:★☆

爆発によって宇宙が誕生し、惑星が変化を遂げていく中、生命が宿り、育まれてきた。自然科学から見たその年代記を革新的な映像で辿りながら、過去・現在・未来への生命の歩みの本質を探る。研ぎ澄まされたあらゆる感覚、心、そして魂で体感する宇宙の神秘。無限の時を経て、今我々がここにいる意味とは。。様々な生命の歩みを辿りながら、人類の未来を探求する。ナレーションは「キャロル」のケイト・ブランシェット。「ツリー・オブ・ライフ」のテレンス・マリック監督が、革新的な視覚効果を用いて宇宙の壮大な足跡を映し出すドキュメンタリー。

過去にも、未来にも、決して同じような作風の監督が生まれないだろうと思っている、テレンス・マリック監督が生み出すドキュメンタリー。戦争映画である「シン・レッド・ライン」でも、歴史劇である「ニュー・ワールド」でも、奏でられる美しい音楽とともに、登場人物たちの心情とそこに映し出される世界観だけを着目して描き出すマリックワールドは、まるでクラシック音楽でも聞いているかのような不思議な映像空間に放り込まれます。僕が、マリックの凄さを知ったのは、前述のこの2作品であり、以来この人が次に自身の作風をどこで表現していくかが毎回楽しみなんですが、今回は遂にドキュメンタリーという領域に挑戦してきました(笑)。といっても、ここでも彼の作風は揺るぐことのないところが凄い。普通、ドキュメンタリーというと目の前に繰り広げられる現実世界を忠実に映し出し、インタビューなどを交え、そこでの現実をより細かく描くことで観ている側の心を揺さぶるような形に持っていくのですが、マリックはそんなことはすっ飛ばして、映像をタペストリー状に組み合わせ、音楽や音を構成していくのみで主義主張を前面に押し出すことはない。唯一、ブランシェットのナレーションのみを手がかりに、何を描いていくのかを観ている側が紐解いていくしかないのです。単純に見ていると、ただただ眠い環境ビデオでしかないことでしょう。

ということで、この映画のテーマというのは、ナレーションでも語られていた”母”というところ。これは2つの意味があって、1つは生物学上の”母”、お母さんという意味の”母”。これは生命を育むと同時に、守られる、愛されるという意味の”母”ともいえます。もう1つの”母”は私たちが育っている生命全体を基軸にしている”母”。これは映画も見られるように、まず宇宙があり、地球があり、大地があり、水があり、、ということ。もちろん宇宙がなければ、世界は生まれないし、水がないと、有機物が生まれる土壌がないので生命は生まれない。。基盤であり、基軸がなければ、生命はその上で立脚できないということでもあります。”母”という言葉で表すと1つの言葉になってしまいますが、実は後者の”母”は生き物たちにとって、生まれると同時に、その上で行われる世界との厳しい生存競争に勝っていかなくては生き抜けない、厳しい世界との対峙が求められてしまうのです。生命という存在で生まれる感謝とともに、この厳しい世界で生き残らなくてならない現実がある。ここに生きることの悲哀を、地球史を描いていく中でマリックは表現しようとしているのです。

という高尚なテーマはあるものの、やや単調なキライなある博物館的な映像にどこまで付き合えるかは観ている側の忍耐力が求められると思います。ここまでぶっ飛んだ作品を放り込むとは、さすがというか、いやはやというか、マリックの凄さをいろんな意味で感じれる作品ではあります。

次回レビュー予定は、「チア・ダン 女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話」です。

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