『の・ようなもの のようなもの』:人間が生きていく中で必要なものを、優しい眼差しで描く良作!

の・ようなもの の ようなもの

「の・ようなもの のようなもの」を観ました。

評価:★★★

2011年に若くして急逝した森田芳光監督。彼の代表作でもある1981年に製作された「の・ようなもの」の35年後を、森田組で長年助監督として支えた杉山泰一監督が映画化した作品。「の・ようなもの」で登場した主人公の落語家・志ん魚が、演じた伊藤克信(この人も久々にスクリーンで見た気がしますが、、)がそのまま落語を辞めた同役として出演しているほか、師匠となった志ん米などの他のキャラクターも35年前のままのキャストで出演しています。故・森田監督に捧げる鎮魂歌的な作品となっているとともに、落語映画らしい人情溢れるお話になっているのも、なんだか見ていてホンワカした気分になってくるいい味わいの作品となっています。

こう書きながら、僕は35年前の「の・ようなもの」を実は見たことがありません(笑)。ですが、森田監督作品は「家族ゲーム」や「阿修羅のごとく」などの作品が好きで観ていますし、本作のように、どの映画においても人情がうまく前面に出て、それが各作品の重要な要素とうまく結合していて、森田監督の後期の作品群にはそれが顕著な形で出ているように思います。特に印象的だったのが、ちょうど僕自身が映画をたくさん見始めるようになった1999年に公開された「39 刑法第三十九条」。殺人の罪を心神喪失で逃れようとする犯人と精神鑑定医をめぐる法廷ミステリーでしたが、その背景にあるやはり人間ドラマを森田流のアレンジでうまく人情を感じる作品に展開できていたからこそ、ミステリーとしての味わいも深い傑作になっていました。森田監督の遺作となった「僕達急行 A列車で行こう」まで通して、人間ドラマに関しては独特の味わいを持つ監督さんで、特に多弁な役者が演じ手として加わっていると映える作品が多かった印象を持っています。

本作のテーマになっている「の・ようなもの」とは、解説によると、よくある”~のようなものをやっている”の意。例えば、会社員というのは職業としてひとくくりにされるものの、どういう会社員を目指しているのかというのは人それぞれ。教科書的に見れば、売上を多く上げれるとか、会社を引っ張っていけるとかはあるんだろうけど、こうしたものがベストというものがあるわけではなく、それぞれが人生の中で”会社員のようなもの”を演じているに過ぎない。でも、結局それはマイナスでもなんでもなく、”のようなもの”を演じながら、真にそれぞれがしたい役割をその中で目指しているのだ。それはプロ野球選手でも、宇宙飛行士でも、学校の先生でも、主婦でも、、、そして、落語家でも同じこと。この映画は、落語家を目指す一人の生真面目な青年を追っていますが、彼の話は全然面白くないものの、人間としていろいろな回り道を糧に、ラストには真に迫るところまで成長していく。芸人は芸の肥やしとしての人生経験が必要なんてよくいいますが、主人公・志ん田の生き方なんかがそうした象徴なんだろうなと思います。なんでもそうだけど、「の・ようなもの」から始まり、「の・ようなもの」を苦心して演じながら、本当の道を見つけていく。その旅路というのは、どの人生でも共通しているのだということが、この作品のテーマのように思います。

それにしても落語映画は楽しい。お話自体はこじんまりとしている感はありますが、その中で魅せる粋な人情ドラマは落語が舞台だとより一層映えるし、些細な人の行動もより愛おしく見えてしまう。森田イズムの人情という形が、亡き監督作の続編という一番分かりやすい形にしている本作には、確かに宿っていることが確認できるのです。

次回レビュー予定は、「残穢 住んではいけない部屋」です。

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