『太陽のめざめ』:観ていて凄くイライラする作品だが、このイライラも映画のテーマではないかと思える。。

太陽のめざめ

「太陽のめざめ」を観ました。

評価:★★☆

家裁判事フローランスは幼き頃から母の素行の悪さで、置き去りにされた少年マロリーに心を砕く。成長し、非行を繰り返すマロニーが新たな人生を見つけられるよう、彼と似た境遇を辿りながら更生したヤンを教育係につけ、手を差し伸べる。マロニーもとことん反抗的な態度を取りつつも、成長しない未熟な母親や弟を必須にかばおうとしていた。。カンヌ受賞女優でもあるエマニュエル・ベルコ監督が手がけ、ベテラン女優カトリーヌ・ドヌーヴを主演に迎えています。ベルコ監督にスカウトされたロッド・パラドが心に傷を負ったマロリー役で映画初出演。「ピアニスト」のブノワ・マジメルがマロリーを支える教育係ヤンを演じ、第41回セザール賞助演男優賞を受賞しています。

多く映画を観させてもらっていると、観ているこちらが独善的になってしまうことが時々あります。こういうシークエンスを挟んだら次はこうだろう、こういうお話を展開するんなら、次はどうだろう、、と。無論、こうして思うように進む物語は観ている方としては心地よくはあるのですが、正直驚きが少ないのも然り。じゃあ、驚きを見せようと、意図しない方向にどんどんとお話が転ぶと、うまくハマった時はいいのですが、自分の好みに合わないととてつもなく不快になってしまう。きっと映画の製作陣は、こうしたワガママな客を本当に面倒くさいと思っていると思っていると思います(笑)。映画は誰のものかというと、やはり監督であり、製作者のものであると思うので、とことん変な作品を作ろうが、とことん不快な作品を作ろうが、本来は勝手なはず。映画のほうから客に迎合する必要はないと、僕は思うのです。

という話を先に出したのは、この映画自身がお話が全く思う方向に転ばないから(笑)。不良少年マロリーはとにかく非行を繰り返す。フローランスの思いを受け、少年院ではなく、更生施設での再起も図るが、それもとことんうまくいかない。最初の施設でこそ、更生の可能性を示すところが多少匂わせるのですが、それ以外はところん思うように成長しない。人は思うようにならないといいますが、そのことを本作は、お話の展開がこちらの思うようにならないイライラで表現しているのではないかと思うのです。子育ての難しさというのは、こういう気持ちなのかなとも思わされるくらいです。観ていて不快になってきたりもしますが、その気持ち自体も、少年マロリーに対して登場人物たちが抱く思いと共通なのではないか、、だからこそ冒頭にまだ無垢なときのマロリーを出したりしたのではないかと思います。

それにしても、この思い通りにならないことにも、とことん付き合う周りの大人の姿にも頭が下がる思いもします。とことん汚い言葉を浴びせられたり、時には暴力を振るわれたりしても、決して非行少年たちを見捨てることはしない。彼ら彼女らの中には、そうした非行少年たちの暴力は、決して本心から来ているものではないと信じる思いがあるから仕事を続けられるのだと思います。自分は何者か分からない。愛情を受けたことがないから、どう感謝の念を伝えればいいのか分からない。自分の身を守るために、カッコよく突っぱねようとしてしまう。様々な傷を抱える者を、傷つきながら癒そうとする姿は、何か私たちが忘れている大事なものがあるのではないかとも思えてきました。

次回レビュー予定は、「キング・オブ・エジプト」です。

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