『5パーセントの奇跡』:目がほとんど見えない青年が一流ホテルマンを目指す嘘のようなホントの話。中盤までいいことばかり起こりすぎて、終盤の苦悩が取ってつけたように見えてしまう。。

5パーセントの奇跡

「5パーセントの奇跡 嘘から始まる素敵な人生」を観ました。

評価:★★☆

将来有望な青年サリヤは、10代の時に病気で視覚の95%を喪失してしまう。それでもホテルマンとして活躍するという夢を諦めきれない彼は、目のことを隠して、一世一代の大芝居を打ち、見事に一流ホテルでの研修プログラムに参加することが認められる。しかし、目のことを隠しているだけにどこまでできるか不安だった彼は、たまたま一緒に面接を受けたマックスの力を借りながら、持ち前の器用さで何とか研修を続けていく。そんなある日、厨房での研修時に野菜を配送にしにきたラウラの声に惹かれてしまう。何とか彼女とのデートにこぎつけたサリヤだが、彼女にも目のことを隠し通そうとしてしまうのだが。。「白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々」のマルク・ローテムントが、奇跡の実話を映画化した作品。

視力がほとんどない青年が、周りの助けを借りながらも、夢や恋を実現していくというサクセスストーリー。いわゆる障害者モノではありますが、ヨーロッパ映画が凄いなと思うのは、(少し毛色は違うものの、同じような趣旨の作品でもあった)「最強のふたり」でもそうであったように、障害があるという負の部分を決して可愛そうな人という扱いをしないことでしょう。なので、作品のテーマとして障害を克服するというモチーフは使われるものの、サリヤ自身も何ら健常者と変わりなく、夢を実現しようともがき、同じ職場の同僚と笑い、悩み、上司の厳しい指導には閉口するという、一若者として描いているのです。周りは助けはするものの、決して彼を特別扱いはしない。こういう心地よい間隔での付き合い方というのは、多様化とか、ユニバーサルな視座が進んでいるヨーロッパならではだなと感心します。

ただ、この他の若者と何ら変わりなく描いている姿勢が、お話の中で終盤近くにサリヤが陥ってしまう苦悩というところで少し足かせになっているようにも思います。詳細は作品を観てもらえればと思いますが、要は、彼が招いたことは障害がある・なしに関わりなく、自業自得であったというところがイマイチ共感できない部分になってしまっているのです。目が見えないということをラウラに打ち明けなかったことで招いた事件はまだしも、いきなり出てきた家庭のトラブルでサリヤ自身が追い込まれてしまうのはなんか取ってつけたようになってしまっているし、その問題がラストではあっさり解決してしまうのも、お話として薄い設定だったなと思わざるを得ません。こうしたことになってしまっているのも、序盤から中盤過ぎくらいまでお話が上手く行き過ぎなんですよね。。研修し始めるところで、もう少しサリヤが苦労した部分などあったはず。親友マックスとかもすごくいいヤツすぎるので、主人公が悩む部分をエピソードとしてバランスよく配置させたほうがよかったのではないかと思ったりしました。

次回レビュー予定は、「ジオストーム」です。

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