『地の塩 山室軍平』:明治近代化の波の中で平民として奔走した社会福祉のヒーロー! お話としては面白いのに、映画としてはもう二工夫くらい必要な作品。。

地の塩 山室軍平

「地の塩 山室軍平」を観ました。

評価:★★★☆

明治5年。貧しい農家に生まれた軍平は、9歳のときに質屋に奉公に出されるものの、15歳のときに勉強をしたいという思いから上京をする。働きながら学ぶ機会を探していた軍平は、とあるときにキリスト教の救済の精神と出会い、新島襄に教えを請うために京都の同志社大学に向かい、そこで多くの仲間たちと出会う。しかし、時は富国強兵の世の中。急速な近代化に合わせるような宗教観が進む中、キリスト教の慈悲の心に畏敬の念を感じた彼は、同志社を去り、労働者と同じく平民として生きる立場をとっていく。やがて人々を救う精神をもった救世軍に出会った軍平は、そくさま入隊し、娼妓自由廃業運動をはじめ苦しむ人々を助けることに生涯を捧げていく。。日本における社会福祉の先駆者・山室軍平と同志たちの軌跡を追った、「密使と番人」の森岡龍主演の伝記ドラマ。山室軍平と同じく同志社大学出身の東條政利監督が、山室軍平の思いを継ぐ人たちへのインタビューを交えながら、彼の生涯にフォーカスする。

ここ数年、仏教学を個人的にいろいろ勉強しているのですが、そもそも仏教は(特に、大乗仏教は)その成り立ちから哲学と通じているところもあり、奈良の時代から社会に息づく日本の仏教というのは、(浄土信仰のような鎌倉仏教の存在はありながらも)哀しいながら現実的に苦しむ民を救うという立場からは遠いところにあったのかなと考えます。今日の社会が、国や市町村の予算体系を見ても、年金や医療・福祉などの社会保障にほぼぼぼ多く割かれているように、社会の基盤に人々を救い、健全な生きる姿を保障するようになったのは明治以降の近代化の波が来てから。ここには西洋から伝来したキリスト教の慈悲・慈愛、幇助・扶助の精神というのが、社会哲学的にも大きな影響を与えていると僕は思います。本作は、その明治初期に勃興する社会福祉の精神をいち早く社会に還元した活動家、山室軍平を取り上げた伝記映画となっています。

スコセッシの「沈黙 サイレンス」でも描かれましたが、そもそも江戸時代までは鎖国をし、キリシタンにおいては弾圧を加えていた日本。明治期以降に憲法で信教の自由は認められるようになったといえども、古来より日本を支えていた神道(まぁ、これは明治期では信教ではなくなりましたが)や仏教観が多数を占めていた中で、キリスト教自体も耶蘇教とどこか少しさげずまされた響きの言葉で呼ばれていた。その中で、伝道の精神を伝えていくというのは大変だったと思います。僕の小さい頃は、よく秋葉原とかでクリスマスの頃に救世軍の募金活動みたいなものを観た記憶がうっすらとありますが、そもそも救世軍自体がどのような形で日本に広まっていったかを知ったという意味で内容的にも興味深かったです。

ただ、映画としてはもう一工夫が必要かなと思います。指摘したい点はいくつかありますが、一番気になったのは会話シーンなどで固定ショットが非常に多いこと。通常、例えば、2人での会話シーンなどは向かい合うショット、話者2人のそれぞれのアップのショット、本当の対面のショットなどなど、会話の流れによってショットを変えたり、パンしたり、寄っていったりと、単純な会話シーンでもいろいろなカメラの捉え方があると思うのですが、本作ではカメラを一点に構えると、ずっと固定のショットがとても多い。これだと作品自体に動きがなくなり、いい事を言っていても、観ている方はすごく退屈してしまうのではないかと思います。軍平を演じる森岡龍の演技もいいし、嬉しいことがあっても悲しいことがあっても、しょっちゅう涙を流す泣き虫のキャラ付けも物語上でいい効果を出しているので、こういう味ももう少し上手く調理すればなーと思ってしまうのですが。。

次回レビュー予定は、「婚約者の友人」です。

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