『シークレット・オブ・モンスター』:思わせぶりな演出はなかなかだが、モンスターを生み出したか、、という秘密は証してくれない。。

シークレット・オブ・モンスター

「シークレット・オブ・モンスター」を観ました。

評価:★☆

第一次世界大戦が終戦を迎えた1918年。ヴェルサイユ条約締結直前のフランスにアメリカから、とある政府高官が一家を引き連れてやってくる。彼には神への深い信仰心を持つ妻と、まるで少女のような美しい息子がいた。その幼き息子は常に不満を抱えており、教会への投石や家庭教師への乱暴、部屋での籠城などの奇行を起こすようになっていく。やがて狂気のモンスター“独裁者”へと変貌してしまう、その息子の隠された心の闇に迫っていく。。ジャン=ポール・サルトルの短編小説『一指導者の幼年時代』をベースに映画化したミステリー。監督は、「メランコリア」「エスコバル 楽園の掟」など俳優としても活躍、本作が長編デビューとなるブラディ・コーベット。

日本でも、世界中のどこでも、狂気と思われるような事件が発生すると、必ず犯人の生い立ちについて、スキャンダラスに報道される。その意味は何なのかをよく考えると、その残虐なまでの”悪”の存在に対し、なぜ”悪”が生まれていくのかという理由が欲しいのです。突き詰めると、この考えが及ぶのは、私たちはもともと善人であるという性善説に基いているからともいえるかもしれません。その性善説に立った上で、何が狂気や悪を生み出すのか、、それを克明に描き出そうとしているのが本作といえるかもしれません。

ただ、本作はそうした意欲的な挑戦があるわりに、抽象度がやけに高いのです。第一次世界大戦という具体的な歴史的出来事を引っ張り出し、映画作品の映像とは別に(こうした独自演出は正直好きじゃないけど、、)、当時の世界史的な状況解説まであるのに、描かれる息子を巡る物語は歴史上実在したものではないという。。様々な独裁者の幼年期をモデルにし、それを混迷期であった第一次世界大戦後に投影したお話であるとか、、こう書くとアートっぽい気はしますが、なんや実際のお話じゃないんかいというフィルターが入ってしまうと、途端に観た価値が下がってしまう。それなら最初から抽象的な世界観を仕立てたほうがいいのでは、、と思ってしまうのです。

それに実際の息子の暴走も、何か将来的に独裁者になるような暗示がかかっているようなお話にはどうも思えない。大人に危害を加えたり、ちょっと大人な女性にちょっかいを出したり、部屋に引きこもったり、奇声を発したりなんて、今の子どもたちにもありそうな反発くらいしか感じられない。。それが第一次世界大戦という少し昔の時代であるから凄まじいことだったのかもしれないですが、それならそうというメッセージ性を出したほうがいいように思います。ただ、この全体的な暗い感じと、カメラのフレームを思う存分使って、不安を煽るようなキャラクターたちの動きをつけさせるのはなかなかなのですけどね。でも、物語が何かしっかりした幹が感じられないので、編集も含めて、すごく思わせぶりな絵作りもすべて空回りしているように思います。

次回レビュー予定は、「ブルゴーニュで会いましょう」です。

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