『お父さんと伊藤さん』:提示するテーマは結構大きく、作品としても面白いが、結論が曖昧なまま終わっている。。

お父さんと伊藤さん

「お父さんと伊藤さん」を観ました。

評価:★★

自由気ままに暮らす34歳の彩は、未だにちゃんとした職業につくわけでもなく、アルバイトを転々としながら生活を送っていた。たまたまコンビニでバイトしているとき、同じく自由気ままに生活をしていた不思議な雰囲気を醸し出す年上の伊藤さんと遭遇する。それほど興味があるわけでもなかったが、そんなバツイチで、今は給食センターでアルバイトをしている伊藤さんと狭いボロアパートで同棲生活を送る日々となっていた。そんなある日、長男夫婦の家を追い出された彩のお父さんが突然転がり込んでくるのだが。。中澤日菜子の同名小説を、「俺たちに明日はないッス」、「ふがいない僕は空を見た」のタナダユキ監督が映画化した作品。

長男、長女など両親の世話とか、家を継ぐとか、考える立場にいる人はそうでもないかもしれないですが、いつしか家族だった人が疎遠になり、逆に、いつしか他人だった人がパートナーになることで距離が近くなるということが結構あるんじゃないかと思います。この映画の主人公・彩も、顕在な父親の世話は長男である兄に任せっきり、何年も顔を合わせることもなく、それこそ他人くらいの距離になってしまっていた。逆に、恋心というよりは、一緒にいて安心できる中年の伊藤さんとは、何となく居心地良く同居生活を始めてしまい、最初はバイト先の奇異な人だったのが、いつしか家族の一員になってしまう。この映画は、この血のつながりはあるけど疎遠な人と、血のつながりはないけど身近な人が、偶然の巡り合わせで一緒の屋根の下で暮らしてしまったことからくる悲喜こもごもを描いているのです。

僕自身、今は全然といっていいほど親戚づきあいみたいなものがない生活になりましたが、小さい頃は、事あるごと(新年とか、お盆とか)に、大人数の親戚が集まるところに連れて行かされることが多かったです。子どもの目に見ても分かるのが、同じ血のつながりでも、親子とか兄弟とかの濃い繋がりと、お婿さんとかお嫁さんとか、所詮は他人だった人との繋がりというのは、意識しないまでも、(聞こえてくる陰口とか聞いていると)結構大きいんだなと思っていました。少子化で、今でこそそうした”家のつながり”というのは少なくなってきたのかもしれないですが、本作の父の引取先みたいな”家の問題”が起こったときに、血のつながりがある家族であるのか、愛情はあるけど血がつながっていない他人とは、問題に対する距離感が違うのかなーと漠然と感じたりもします。高齢単身化が進む現代社会において、自分や家族の身の振り方をどうしていくのか、、これはどう生きていくという問題と直結していて、テーマとしては現実に即したものだなと思わされます。

ただ、本作はよくも悪くも、この問題を愛情という大きな包装紙にくるんでしまって、曖昧にしたまま終わっているように思います。問題はいろいろあるけど、結局は人として愛せるかどうかだよね、、ということに尽きるということでしょうか。表面的にはドラマとしても美しく、いろんな見せ場もあるんですが、結局何が言いたいの?というところがイマイチ見えてこない消化不良感に苛まれてしまう作品になっているように思います。

次回レビュー予定は、「エル・クラン」です。

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