『グッバイ、サマー』:大人になるために通過したひと夏の思い出。フランス版「スタンド・バイ・ミー」のような味わい!

グッバイ、サマー

「グッバイ、サマー」を観ました。

評価:★★★

14歳のダニエルは、多感な時期で様々な悩みを抱えていた。髪が少し長く、見た目は女の子のような風貌であったり、クラスメイトからは”ミクロ”と呼ばれるくらい伸びない身長だったり、恋するローラには全く相手にされないことなどなど。そこに風変わりな転校生テオがクラスにやってくる。不思議な行動をする彼とダニエルは自然と意気投合してくる。そして長い夏休み、2人でスクラップを集めて“動くログハウス”を作り、旅に出ることを決意するのだが。。「エターナル・サンシャイン」のミシェル・ゴンドリーが、自ら脚本も手掛けた自伝的青春ロードムービー。

14歳、日本では中学2年生という時期は、大人へのスタート点とよく言われます。その昔に、日本ではこの歳が大人になる元服を迎えることもあり、今は行われているか分かりませんが、僕も中学時代には立志の式みたいのがあって、親御さんを呼んで、決意を新たにする機会みたいなものがあったのを記憶しています。でも、同時に思うのは、子どもでもないけど、大人でもないというのは、とってももどかしいということ。大人になることにいろいろな憧れがありながらも、まだ自由になるお金もないし、車も運転できるわけでもない。学校でも、家庭でも、大きな行動をするのには制限を加えられてしまうことが大半。この時期は早く大人になりたい、、という思いが多かったなーと、今振り返ると思います。

本作は、こうした多感な時期を過ごすダニエルという少年にフォーカスが当たっています。彼も、この時期の普通の少年が持つような同じような悩みを色々と抱えている。そんな彼のモヤモヤを払拭させてくれるような存在になってくるのが、自分に自由に生きているテオ。テオの奔放さに、ダニエルは普段から心に秘めてできなかったことを、どんどんと実行していくのです。その集大成が、嫌なことが多い学校や家庭を抜け出し、2人気ままな旅に出ること。そのために真剣になる姿が、もう少年のあどけなさを抜け出し、立派な大人の顔を少しづつ見せ始めるのです。これが単純な自律ということ。そうした行動に起こしていっても、決して自分が思った通りに進むわけではない。いろいろな大人に接し、世界に触れ、痛い思いをしながら、ダニエルはひと夏の大きな成長を遂げていくのです。

少し内容は違いますが、ラストの再び始まった学校生活ではダニエルが力強い成長を遂げるところや、その中でもテオとの友情や周りの家族の状況がいかんせんともし難くなってくるところなど、「スタンド・バイ・ミー」のようなビターな味も感じる仕上げになっているのも物悲しい。きっと大人になるということは、いろんな力<パワー>をつけるとともに、愛おしくしていたものとの別れとも向き合わないといけないという現実もあったりするのかなと思います。「グッバイ、サマー」というタイトルのように、こうした雰囲気の移り変わりが、まるで夏から少し涼しい秋への変化のように感じられる作品になっています。

次回レビュー予定は、「レッドタートル ある島の物語」です。

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