『スリー・ビルボード』:ミズーリ州の田舎道に掲げられた3枚の広告看板が引き起こす人々の心の葛藤。見応えあるドラマ劇だが、警察署長の行動がどうも腑に落ちなかった。。

スリー・ビルボード

「スリー・ビルボード」を観ました。

評価:★★★★

アメリカ、ミズーリ州の寂れた田舎町。ミルドレッドは毎日不満の中で生きている。それは7カ月前に何者かに娘を殺されたのに、警察の捜査は一向に進展しないからだった。業を煮やした彼女は、自宅近くの寂れた道路に朽ちた3枚の広告看板があったのに目を止める。彼女は持ち金をすべて注ぎ込み、その3枚の看板に警察への批判メッセージを書き、設置することにした。たった3枚の広告が普段平穏な街の人々の心に、何かざわめきのようなものを引き起こす。そして、事態は予想外の方向に向かっていくのだった。。第74回ヴェネチア国際映画祭で脚本賞を授賞したサスペンス。監督・脚本・製作は「セブン・サイコパス」のマーティン・マクドナー。

普段は何気ない風景であっても、奇抜なデザインやコピーライトが書かれていると思わず目をやってしまうことが多い広告というのがあったりします。広告の役割は、広告媒体そのものにあるのではなく、如何に書かれている商品・サービスであったり、メッセージに対してアテンション(注目)をつけるかということにある。名広告と呼ばれるものは、そのアテンションを引いたことから、見た人に心のゆさぶり(動揺)を与え、ある人はメッセージを何度も口すさんだり、ある人は本やネットを使って、そのものにアクセスしようとしたりと、人に行動を起こさせることにあるのです。なので、広告屋にとっての成功とは、まずはアテンションから心の動揺を与えさせることにある。本作で描かれる、娘が殺されたことに対するミルドレッドの不満は、事件が起こった後の7ヶ月においても警察や周囲の人に訴え・漏らしていたはず。しかし、その行動以上に、広告というシンボリックなものになったときの影響力(メディア力)というのが計り知れないということを、作品では如実に語っていきます。

看板が設置されたのはミルドレッドの自宅近くの寂れた田舎道で、人通りも決して多くなく、看板そのものに注目されるかというと決してそうではない。しかし、そこに書かれていたインパクトあるメッセージが様々な人々に動揺を与え、街の人々を良くも悪くも変えていく様は観ていてちょっと恐ろしいなということを思いました。そして、それ以上に心を揺さぶるのは、本作ではミルドレッドの娘が殺されたという事件そのものは置いておいても、被害者であるミルドレッドも、怠慢捜査であった警察であっても、どちらも善悪という線で仕切ることができないという部分。ミルドレッドも警察に一泡吹かせるためにとんでもない行動に出るし、警察内部でも難航している捜査状況を何とか変えようともがく人もいる。それぞれの人たちがいざ善意ある行動に出ようとしたときに、思いがすれ違ってしまって、悲惨な事件へと発展してしまう。よく人の善悪は紙一重ともいいますが、まさにそれを体現しているような話の展開に物語は進んでしまうのです。

全体を通して、役者の緊張感がスクリーンからビシバシ伝わる傑作だと思います。特に、警官ディクソンを演じるサム・ロックウェルは、思うようにいかない人生の苦しみから鬱屈した警官なのですが、事件を機に自らを大きく変えていく役柄を好演しています。ミルドレッドを演じるフランシス・マクドーマンドの狂気に満ちた母親や、批判の対象になりながらも事件に真摯に向かいあう警察署長ウィロビーのウディ・ハレルソンの清い演技も素晴らしいと思います。ですが、日本人的感覚をしてみると、中盤にあるウィロビーのある行動がどうも責任逃れに見えて仕方なかったのがちょっと腑に落ちない。無論、彼の行動があったからこそ、ディクソンも変わっていくのですけどね。。

次回レビュー予定は、「殺人者の記憶法」です。

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