『ストーカー』:タルコフスキーが繰り出す精神SFの世界。3人の男たちの行動は矛盾するところも多々あるが、それを含めて人の内面を描く秀作!

ストーカー

「ストーカー」を観ました。

評価:★★★★

とある小国に、不可思議な立入禁止の地域である“ゾーン”というものが政府によって設定されていた。この”ゾーン”には、人にとって一番大切な望みを叶えてくれる”部屋”があるという。同時に多くの危険もはらんでおり、一度”ゾーン”に立ち入った者は二度とは帰ってこなかった。この地を大胆にも目指す者の案内役を勤める男は、ストーカーと呼ばれていた。あるとき、作家と教授と呼ばれる2人の謎の男から依頼を受けたストーカー。早速、3人は”ゾーン”の境界線を守る警察の目をかいくぐり、”ゾーン”に侵入することに成功する。しかし、3人を待ち受けていたのは、同じく”ゾーン”の謎を解明すべく送り込まれた多くの兵士たちの無残な姿だった。。”ゾーン”に踏み込んだ三人の男たちの心理を描くSF映画。アルカージーとボリスのストルガツキー兄弟の原作「路傍のピクニック」を基に彼ら自身が脚色したものを、「惑星ソラリス」のアンドレイ・タルコフスキーが監督した1979年製作の作品。

「惑星ソラリス」に引き続き、タルコフスキーのSFが観てみたいを思い、本作をチョイスしました。説明が多く、ドラマ劇と感じた「惑星ソラリス」に対し、本作のほうが純粋SFっぽい色が強く感じられる作品となっています。宇宙人が侵略したのか、それとも政府による科学実験が行われたのか、よく分からない謎の地”ゾーン”と、その中に存在しているという望みを叶える”部屋”。そこにある理由をもって向かう2人の謎の男と、案内役のストーカーを合わせた3人の男のSFアドベンチャーという体裁でしょうか。旅なのですが、ロード・ムービーというよりは、雰囲気がよく似ているのは「ロード・オブ・ザ・リング」でしょうかね。ある種の使命感に駆られた男たちと、彼らの精神を蝕んでいく不可思議な”ゾーン”の魅惑さ。最終的には”部屋”にはたどり着くのですが、そこで彼らが取る行動というのも驚くべきものになっています。

主人公となるストーカーという人物、正直案内役にしては少し頼りない(笑)。一直線に進むことができなく、後戻りすると戻れないという”ゾーン”の基本的ルール(これも場所によっては、厳密じゃなくなっているですが、、笑)に、石を投げながら少しずつ歩みをすすめるのですが、ポイントとなる部分では決して先行せずに、教授や作家に先に行かせるという及び腰は、ガイドとしてはどうかと(笑)。先に行かせる者に散々危険性を解く割に、そうでもなかったら、”こんなこともあるのか、、”という開き直ったような態度を見せるなど、これは一種のギャグかとも思ってきてしまいます。

こうした謎の行動をしていく3人の男たちですが、これが陳腐なギャグ映画にならず、深遠なSF劇になっているのはテーマ性が深いからだと思います。ズバリ、”理性と本性の対立”といったところでしょうか。理性的な行動をするはずの人間が、”ゾーン”の魔力によって、彼らが行動していく度に、理性の皮が1枚づつ剥がれ、その下の本性が浮かび上がってくる。”ゾーン”の様々なトラップによって、囚われて戻ってこれなかった人々はそうした自らや他人の本性に絶望して、自殺したり、殺し合ったりしたのに他ならないのです。そして、”部屋”にたどり着く彼らが見せた生身の”本性”こそ、実は”部屋”が果たすの目的そのものだったのかもしれない。人間は普段、社会という中で生きる中で、理性という膜を被っていますが、実はその中の本性と対峙しないといつまでたっても希望を得ることはできないのかもしれません。ラストで、足を失ったストーカーの娘が見せる本性は、その象徴かもしれません。

次回レビュー予定は、「勝手にふるえてろ」です。

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