『散歩する侵略者』:宇宙人という形は出てこない、新感覚SF劇!舞台劇の面白さはそのままに、人とは何かを考えさられる傑作!

散歩する侵略者

「散歩する侵略者」を観ました。

評価:★★★★☆

加瀬鳴海は夫・真治との不仲だったが、自らのイラストレータの仕事に精を出し、そのことは頭から取り去るような毎日を送っていた。ある日、夫が数日間の行方不明の後、病院で保護されたことを知らされる。迷惑だと思いながらも夫を迎えに行く鳴海だが、いつもの嫌な夫ではなく、どこか垢抜けたような態度に不審を抱く。一方の真治は、そんな鳴海の想いとは裏腹に毎日散歩に繰り出していた。しかし、世間では隣国との戦争に突入していくという不穏な空気が漂う中、街では一家惨殺事件が起こるなど、奇妙な出来事が頻発していた。ジャーナリストの桜井は、そんな事件を追う中で天野という不思議な若者に出会うのだが、何と彼は宇宙からの侵略者に身体を乗っ取られていたのだった。。「回路」、「岸辺の旅」の黒沢清監督が、劇団イキウメの同名舞台を映画化した作品。

題名通りに、宇宙からの侵略者(宇宙人)に人間たちが右往左往することになるという、題材的にはSF(サイエンス・フィクション)ということになるのでしょうが、VFXを駆使するようなサイエンスな一面は全くないという不思議な作品になっています。でも、これが面白い。まず、宇宙人が奪うのが、人間の概念というのが認知科学的にも、心理科学的にも面白いですよね。人間は動物と違って複雑な思考ができるのですが、それには概念をもっているところが大きい。もちろん、犬や猫などにも、”自分にとって優しいもの”とか、”危険なもの”という原始的な概念はあるものの、それはあくまで自己という個体を維持させるために必要な最低限のものにか持たない。人が人でありうるのは、例えば、”家族”とかいう概念で、他の集団からの区分けを理解することで、社会を構成する要素を身につけたりする。シンプルに情報伝達する手段にも概念を利用している。これをとことん奪われると、生きていくために社会形成が必要な人にとって、必要な要素がなくなってしまうことにつながってくるのです。

もとは舞台劇になっているもので、劇のほうの原作脚本を手がけている前川知大が小説化した作品も、本作鑑賞後に読ませていただきましたが、やはり舞台で展開するところがピッタリな概念とは何かという哲学的な劇ドラマになっていると思います。それを映画化するに当たり、黒沢清監督はピッタリな方だと思いました。もともと、「回路」や「ドッペルゲンガー」のようなホラー作品でも、今世の世界に住む私たちと、一線を引いたあちら側(あの世)の世界に住む人たちとの構図を簡単に飛び越えるような不思議な世界での人の葛藤をテーマにしてきていて、それが単純に本作では地球人と宇宙人という線引きの中で展開していく。そんな境界ドラマを描きながら、最初はあちら側の世界の異様さ(本作なら、概念を奪っていくという脅威)におののくのですが、同時に脅威にさらされがらも、こちら側の世界に生きていく私たちにも希望があるのだということをどこかに描いてくれる。だから、黒沢監督の作品は怖さに面白さもあり、同時に優しさにホッとする一面もあるんですよね。

本作では鳴海と真治のエピソード、そして桜井と若者たちのエピソードが並行して描かれていきますが、主要キャストである4人(鳴海、真治、桜井、天野)が絶妙だなと思います。特に、真治役の松田龍平がもともと何を考えているか分からないような素の部分が、宇宙人に支配されながらも、どこか真治の身体の中に残っている鳴海への優しさを表現している部分が実にいい。原作が舞台劇なので、この役者の上手さが作品のクオリティを上げていると感じます。ただ、惜しいのが映画としての世界観の構築に少し安っぽさを感じてしまうこと。舞台劇らしく演出しているところもあるのかもしれないですが、宇宙人を追う厚生労働省のメンバーとか、もう少し何とかならなかったですかね、、(笑)。

次回レビュー予定は、「新感染 ファイナル・エクスプレス」です。

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