『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』:戦後ドイツでナチスをとことん追い詰めた男の物語!主役は熱いが、もう少しその周りの組立をしっかりして欲しい。。

アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男

「アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男」を観ました。

評価:★★★☆

1950年代後半のドイツ・フランクフルト。第2次世界大戦の爪痕が酷く残るドイツにおいて、ナチスの戦犯たちを検挙することは喫緊の問題だった。しかし、戦後の政府にも戦中には政府側の人間として、ナチスに関わっていた人物も多く残っており、そうした者たちにとって過去の汚点は封印したいという願望もうごめいていた。そんな中、戦犯を追うべき立場の急先鋒にいた検事長フリッツ・バウアーのもとに、逃亡中のナチス親衛隊中佐アイヒマン潜伏に関する手紙が届くのだった。。ナチスの最重要戦犯アドルフ・アイヒマン捕獲作戦の影の功労者フリッツ・バウアーにスポットを当てた実録ドラマ。監督・脚本は、「コマーシャル★マン」のラース・クラウメ。

第2次世界大戦を取り扱った戦争(後)映画として、僕自身がもっとも多く観ているテーマの作品が、多くのユダヤ人を収容所送りにしたホロコーストに関与した人物に関するもの。特に、本作のアイヒマン関連に関するものは多岐に渡っていて、最初は、学生時代に観たドキュメンタリー映画「スペシャリスト 自覚なき殺戮者」(1999年)、その自覚なきというテーマを扱い、全体主義が生み出す悪を定義し、アイヒマン裁判にも関わった哲学者アンナ・ハーレントの半生を描いた「アンナ・ハーレント」(2013年)、そしてホロコーストに関わった人間を大量検挙したアウシュビッツ裁判の過程を描いた「顔のないヒトラーたち」(2014年)、更には昨年観たアイヒマン裁判を映像に収めた男たちの葛藤を描いた「アイヒマン・ショー 歴史を映した男たち」と結構観ています。これらの作品を見て思うのは、ナチスが起こした全体主義というものの怖さだけでなく、理性があるべき人が社会の大きなうねりの中で、非道な行動にどうして動いてしまうのかという不思議を感じること。そして、ドイツ社会がずっと抱え続けるホロコースト問題における自省と、戦後すぐに行われた名誉回復との間に揺れる矛盾。こうしたところにも興味が持てるとともに、この歴史を学ぶことが、今後混迷する世界の中でどう生きていくのかが漠然と見えてくるように思えてくるのです。

本作は、戦後に行われた名誉回復とともに、覆い隠されようとしていたホロコースト問題を噴出させることとなったアイヒマン逮捕に奔走したフリッツ・バウアーという人物に迫った作品になっています。映画を見ていると、彼は確かに執念を持った人物ではあるのですが、決して褒められるようなクリーンな人間という形でも描かれていないのです。それは戦中からの高官が多く残る政府において、国の建前としてナチス戦犯を追うという任務は追いながらも、仲間からは冷たい目線を浴びせられるが故。彼のどこかダーティさをも傘にまとって動いていく姿は、内に秘める信念を見せずに、周りを欺くためのスキルのように思えてくるのです。しかし、逆から見るとそうでまで狡猾さを見せないと動けなかったという当時の空気をリアルに感じる。これはこれで凄いことを伝えてくれる作品になっています。

しかし、そうしたバウアー像には迫っているものの、タイトルにあるような”アイヒマンを追う!”ようなスリリングなポリティカルものになっていなかったのは少々残念というか、、、想定外でした(笑)。。それにバウアー演じるブルクハルト・クラウスナーが熱演を魅せているものの、彼の依賴で動く検事カールの人物像が少し弱い気がします。彼がなぜ罠にハマってしまうのかも、イマイチとしっくりこない。バウアーがいいだけに、その周辺のドラマ設定をもう少ししっかり組みててて欲しいなと思ってしまいました。

次回レビュー予定は、「ブラック・ファイル 野心の代償」です。

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