『リトル・ボーイ 小さなボクと戦争』:お話上の奇跡はたくさん起こるが、それが映画のマジックにはなれていない。。

リトル・ボーイ

「リトル・ボーイ 小さなボクと戦争」を観ました。

評価:★★

第二次世界大戦下のアメリカ。背が低くからかわれていた8歳の少年ペッパーにとって、唯一の心の支えは、彼を愛してくれる父親だった。そんな父親の背中を見ながら育ったペッパーだが、戦争に行けない兄に変わり、愛する父が出兵することになる。最前線での戦いが厳しくなる戦況において、父を戦地から必死に呼び戻したい一心で司祭に相談する。すると司祭は、戦争によって差別を受ける日本人と交流するなど、父親を取り戻すためにペッパーが行わなくてはならないリストを渡すのだが。。本作の監督は、「Bella」(未)で2006年トロント国際映画祭で最高賞に当たる観客賞を獲得したアレハンドロ・モンテヴェルデ。

予告編を見ると、如何に映画のマジックが起こりそうな物語設定。幼い少年ペッパーが父親を取り戻すべく、司祭から渡された7つのリストを実現すべく奔走していくというお話。その中に、伝説のマジシャンとの架空話も盛り込まれ、ペッパーが何もかも必死に真剣に取り組む姿に、引き合わせるように奇跡とも思ってくることが起こってくるという。。確かに、本作を観ていると、いくつかそういう奇跡がうまい偶然の巡り合わせとともに起こってきて、最後の最後には、、、という形にお話は進んでいくのですが、なんかどうもスッキリとしないのです。ペッパーも純粋さもしっかりと描けているし、奇跡がドラマチカルに起こってくる描写も問題はないし、物語の展開方法も無難なところ、、それでもスッキリとしないのは、多分、ペッパー少年があまりに父親を戻すというところに固執しすぎる描き方だからだと思います。司祭が渡すリストも、ペッパーが父親に顔向けすぎて、本当に大切なものが見えていないのを忌めしめることも含まれていた。それなのに、リストを単にクリアすることに目数が行き過ぎて、例えば、日本人ハシモトとの距離を縮めることが何を意味することなのか、という本質が描けていないからだと感じます。

これが「フォレスト・ガンプ」のように主人公が何も感じずに、周りに言われたことに従順にしていったことが、結果的に真実の姿を掴む形だったら違う感動が湧き上がったのだと思います。ペッパー少年がリストの意味する本当の意味を掴み、人間として一段と大きく成長していくところが見えれば、ラストの奇跡もまた違った味わいになったろうと思います。物語としては素敵な要素が詰まっているのですが、お話上の奇跡が、映画のマジックとは結びついていないのです。

あと、映画が太平洋戦争を舞台にしている設定上、仕方がないのですが、題名の「リトル・ボーイ」が意味する本当のところが1つの奇跡になってしまうところが、日本人として観ていて辛いなと思わざるを得ません。爆心地のイメージももう少し上手く戦争の悲惨さに結びつけてくれると、戦争映画としての別の味も出てきたように思うのですが。。

次回レビュー予定は、「ある天文学者の恋文」です。

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