『後妻業の女』:ゲラゲラ笑えるゲスいほどのコメディ劇が、ラストは大人のファンタジーのようになる不思議な秀作!

後妻業の女

「後妻業の女」を観ました。

評価:★★★★

武内小夜子と結婚相談所所長・柏木は、大金持ちで、かつ病気を抱え、老い先短い老人の後妻に入り財産を奪うという、いわゆる“後妻業”を繰り返してきた。あるお見合いパーティーで、元女子短大教授の中瀬耕造に狙いを絞った小夜子は、見事耕造の後妻に入ることに成功する。耕造の死により、全財産を小夜子に奪われた耕造の娘・朋美は、裏社会の探偵・本多とともに小夜子と柏木を追及するのだが。。黒川博行の小説『後妻業』を「源氏物語 千年の謎」の鶴橋康夫監督が映画化した作品。

映画感想文の中でも何回か、日本が迎えている高齢化社会について言及してきましたが、高齢者単身世帯の増加によって、愛する人に先立たれ、遺された人同士、もしくは新たな独身者との結婚で新しい人生を迎え人も多くなっているんじゃないかと思います。独身高齢者でも趣味の世界や、リタイアした後も新しい仕事で第二のキャリアをはじめているアクティブな人もいるかもしれませんが、動かなくなってくる身体に、ご近所に話す人もいない、遠くにいる息子・娘はろくに顔を出さないという独居老人にとって、何もせずに残された人生を生きるのは苦行といってもいいでしょう。そうした心の寂しさは、身体をますます動かなくさせるので、人としての活動を維持するために、如何にコミュニケーションを絶やさないかというのも重要な社会的課題でもあります。本作はそれとは別に、そうした独身高齢者の心の隙間に入り込んで、大金をかっさらっていく人たちを描いた作品になっています。

これは考え方によると思いますが、僕は仮に財産をもっていて、息子・娘などの相続対象の人がいたとしても、死んだ後も財産を持っていきたいくらいに何も残さず死にたいと思うほうです。だって、自分で稼いだお金は(生きている間に、自分の意志で他人のために使うのは別として)極力、自分に還元するように使いたい。変に財産を残すと、残されたほうが前向きに働かず、かえって不幸になるのではないかと思うのです。そう思って本作を見ると、寂しい自分の前に現れる女性が、たとえ後妻業の女であっても、生きている間に夢を見させてもらえれば、それはそれで十分に幸せじゃないかと思ってしまいます。本作で描かれる小夜子も、そうした老人の心の隙間を見事に心得ている。傍から見ると、悪魔のように思えるのですが、老人の前では可憐で、愛おしい存在になることで、老人に夢を見させる華麗な一輪の花に見事に変化するのです。

小夜子演じる大竹しのぶが実にいい。華麗な花にもなりながら、柏木や朋美の前では徹底的にお金にゲスい女を好演しています。映画全編を埋め尽くす関西弁が、更にこのゲスさを強調していく。素晴らしいのは、こうした毒づく小夜子の本心がどこにあるのか見えないところでしょうか。本当に金の亡者でしかないのか、後妻業に身を投じる前に何か心境の変化があったのか、何か求めきれない愛情に窮しているだけの寂しい女なのか、、最後の最後まで全く分からない。その分からなさが、中盤まではとことんゲスい物語が、終盤は何か大人の美しいファンタジーに昇華されていくのが分かるのです。この不思議な感じは観てもらわないと分からない。ここ最近では見たことがないような、新鮮な感じの演出でした。

次回レビュー予定は、「ストリート・オーケストラ」です。

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