『奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ』:教育系映画としては鉄板すぎるが、フランス社会の内実がいろいろ垣間見える!

奇跡の教室

「奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ」を観ました。

評価:★★★

貧困層が多く通うパリ郊外の高校。問題児たちの集まるクラスを任された歴史教師アンヌは、生徒たちに全国歴史コンクールへの参加を提案する。しかし、“アウシュヴィッツ”という難しいテーマに反発されてしまう。最初は反抗ばかりしていた生徒だが、各々テーマについて調べていくうちに、クラス全体が一致していく。。落ちこぼれクラスの実話を映画化した教育系ヒューマンドラマ。当時18歳だったアハメッド・ドゥラメが自身の体験を基に、マリー・カスティーユ・マンシオン・シャール監督と脚本を共同執筆しています。ドゥラメ本人も、映画監督志望(本人もそうだとか)のマリック役で出演もしています。

観ていて、教育系青春ヒューマンドラマとしてはほぼ鉄板のストーリーライン。落ちこぼればかりで、授業には参加するものの先生の話を聞いていないばかりではなく、ときにはケンカも起こり、授業自体もまともに進まない落ちこぼれクラスがあり、そこに熱血教師がやってきて、右往左往しながらも生徒はコンクールへの活動を通じて自律をし、クラスもまとまっていくという内容。ですが、この大筋の完璧な流れのもとに、多民族国家で移民も多く抱えるフランスの内実がいろいろと見えてきます。当然のことながら、クラスの面々も多民族。白人系、黒人系、アラブ系に東欧、アジア系と詳しい個々の生徒の言及はないものの、多種多様な生徒たちがいることが目につきます。そこでいきなり冒頭提示されるのが、多民族だからこその悩みというところ。歴史という授業はまさにフランスの長年のキリスト教目線の授業をすれば、見下されたと感じるアラブ系の生徒は反発する。理想的には、各個人に対応した教材を用意すべきなのでしょうが、その体制もフランスの小さな公立高校にはあるわけがない。多民族だからこそ、抱える苦悩がまざまざと分かります。こんな多様なクラスだからこそ、公共教育が如何に難しいのかが分かってくるのです。

そこで提示されるのが、”アウシュヴィッツ”という人の命を粗末に扱うといった行為に対する検討。ナチスへの対応も含め、各個の考え方やテーマの持ち方も当然様々。それでも、”アウシュヴィッツ”を生き残った人のインタビューを通して、彼ら彼女らは宗教や民族の違いを越えて、人の命の尊さを学んでいくのです。「奇跡の教室」というタイトルは、伊達ではないのです。大人な世界では、未だに人種や宗教に対する偏見や暴力が世界を埋め尽くしていく。多様な志向や思想があることを理解する前提として、まず人の命の尊厳というのは、これからの社会も学んでいくべきことなのです。日本も戦後70年を過ぎ、日常社会の中でも命ということがあまりに粗末に扱われる事件も起きています。映画を観ていて、何をキッカケにしてもかまわないと思うので、今一度”命の大切さ”を子どもたちにどう教えていくかを私たちは考えなければならないと、観ていて感じることができました。

次回レビュー予定は、「ゴーストバスターズ」です。

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