『妻よ薔薇のように 家族はつらいよⅢ』:毎度一家離散の危機が訪れる平田家の日常世界。こうした家族の姿が幻想ならば、スクリーンに焼き付ける意味があるのだ!

妻よ薔薇のように

「妻よ薔薇のように 家族はつらいよIII」を観ました。

評価:★★★★☆

三世代で賑やかに暮らす平田家。そこで家族の家事の一切を担う主婦・史枝。しかし、子どもたちが手のかからない年齢に成長してきた中、自分もこうしたいという様々な事柄が頭をかすめるのだった。そんなある日、忙しい主婦業の合間にふと義理の両親の部屋でウトウトしてしまっている最中に、コツコツ貯めていたへそくりを泥棒に盗まれてしまう。そのことを責める夫の態度をきっかけに、日頃の不満が爆発。我慢も限界に達した彼女は家を飛び出してしまうのだが。。山田洋次監督による喜劇「家族はつらいよ」シリーズ第3弾。

山田洋次監督が「男はつらいよ」や「学校」シリーズに引き続き、前段となる「東京家族」も含めて新たなシリーズ化作品になりつつある、「家族はつらいよ」シリーズ。僕は見る度に年老いているせいか(笑)、年々と共感できる要素が大きく感じています。特に今回の鑑賞では、このシリーズの引用作でもあり、参照作でもある小津監督作品(「麦秋」)を観ただけに、小津作品との対比でも楽しめる部分が存在しました。

一作目の「家族はつらいよ」の感想文でも触れましたが、本作は3世代同居しているという家族構成も含め、各キャラクターの台詞も古めかしく、どこか昔の映画のような風貌をも感じる。これは山田監督や製作陣がワザとやっていることだと思うのです。もちろん、今どきの若者たちにはない日本語の美しい会話も楽しめるのですが、それ以前にこういう現代ではありえない設定が一種のファンタジーとして成立する。それは小津監督作が戦後間もない1950年代の作品なのに、どこか現代にも通じるドラマ劇となっていたのとは真逆なのです。だから、小津監督も、山田監督も、戦後と現代という違う時間軸で生きている監督が、実は指し示しているベクトルは同じ方向を向いていると感じるのです。

核家族化はもちろんのこと、高齢で独居世帯になっている数が多くなってきている今の日本社会。その中で、当たり前のように昔はあった家族のカタチというのが本作では描かれます。今回は史枝夫婦を中心に描かれますが、そこには家族の愛だけではなく、夫婦愛、兄弟愛といろいろな形の家族の在り方が詰まっている。僕が特に印象的だったのは、息子2人たちの純朴過ぎるくらいの姿でしょうか。上記したように、こんな素直な兄弟像はもう日本にはないのかもしれない。でも、こうした今はない家族のカタチを、スクリーンに焼き付けることによって、きっと多くの人が家族のありがたみを知るだろうし、家族がいない人も平田家一家の姿がまるで自分の家族に思えるくらい親近感を覚え、癒やされることでしょう。だから、映画の内容以前に、本作は今の日本に必要な作品だと思うのです。

次回レビュー予定は、「ブラックパンサー」です。

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